登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)掲示板

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どんな気持ちも大切に - りょうこ

2026/10/08 (Thu) 09:05:32

娘が学校へ行けなくなったのは、小学校2年生が始まってすぐのことでした。
1年生の3学期、友達関係で心を傷めていた娘は、児童クラブのおやつの時に嘔吐した事をきっかけに、不安で給食を食べることができなくなりました。
昼休みに友達と遊ぶことが大好きな活発な1年生でした。このことが、不登校に繋がっていくとは、その時は思いもしませんでした。
またクラスで皆と一緒に給食が食べられるようになることを目標に、娘よりも私が必死でした。
4時間目の終わる頃に学校に娘を迎えに行き、自宅で昼食を済ませ、またすぐに学校へ送る。次のステップは、保健室で私が付き添いのもと給食を食べる。そして、徐々に教室へと戻していく。段階を経て、もうすぐ私の給食見守りも卒業できるだろうと希望を持ち、2年生になりました。
ところが、担任が怖いという理由で、あっけなく学校へ行けなくなりました。私も必死だったので、給食の見守りどころか、最後は授業の見守りまでしましたが、娘はどんどん笑顔が消えて元気がなくなり、夜も不安で眠れず、このまま学校へ行かせたら、娘が娘でなくなってしまう、死んでしまうと感じました。

学校を休み始めてから、娘はすぐに元気を取り戻しました。ですが、今度は私の元気がありません。涙が溢れ、無気力状態となり、体が動きません。暗い暗い出口の見えないトンネルに迷い込んでしまったかのようでした。
両親には、「娘が不登校になったのは、甘やかして育ててきた結果だ。」と言われ、気持ちのやり場がなく、いっそう不安を掻き立てられました。一人、部屋にこもってしまうこともありました。

そして今度は、学校に代わる娘の居場所を探し求め、私自身の不安を収めようとしてしまったのです。

せっかくなら好きな事をしようと、以前から娘の大好きだったチアダンスを始めました。そして、不登校の子ども達が集い遊ぶ場所、フレンドシップ、療育…。様々な場所へ、娘を連れて行きました。ですが娘は、チアダンス以外私から離れられず、ずっと付き添いが必要でした。
やがて娘は、頭痛や吐き気を訴えることが多くなってきました。

ちょうどその頃、親の会と出会いました。娘が不登校になってから半年ぐらいが経っていました。
「不登校になったのは、娘さんが素晴らしいからですよ。」初めて参加した親の会でそう言われ、意味が分かりませんでした。でも、初めて肯定的な言葉をかけてもらい、理解はできずとも嬉しかった事を覚えています。
「どこに行かずとも、家の中を楽しめば良いんだ。」言葉ではそう思いましたが、その本質を理解するまでには、まだまだ時間が必要でした。
ですが、親の会に参加する度に心が軽くなり、いつしか「暗い出口のないトンネルなんて、最初からなかったんだ。」と気づきました。

クリスマスの日、クリスマスケーキを前に、娘は急に「ケーキは要らない。」と泣き出しました。それから、喉に詰まる感じを訴えるようになり、ラーメンしか食べられなくなり、食卓を別にしたいと言ったり、気分が悪くなるかもしれないからと、外出するのも不安になり、身動きできない状態になっていきました。楽しかったチアダンスも、年中さんから頑張ってきたピアノも全て通えなくなり辞めました。

学校に行けない娘が、「何で私は学校に行けないんだろう。」「勉強もできない。」「自分が嫌い。」と自己否定を強めてしまったのは、怖かった担任のせいでも、「学校行かなくて良いね。」と言った友達のせいでも、「学校に行くのが子どもの仕事だ。」と言った祖父母のせいでもありませんでした。
ありのままの娘を認められず、疲れきった娘を色々な場に連れて行き頑張らせ、身動きがとれないほどに苦しめてしまっていたのは、他でもない、母である私のせいだったのです。

私は、頭痛や吐気、喉が詰まる感じ、不安に襲われる娘を、どこかで「娘はおかしくなってしまった」と思っていました。親の会で、「いたって何もおかしくない。子どもは、色々な形でその辛さを表しているだけだ」と言われた時、正直驚きました。そして、何だかほっとしたのを覚えています。
そして、娘の辛さが様々な症状となって出てきている事を理解できた時、初めてありのままの娘を認めることができるようになったように思います。
私は、娘の不安をどこかへ追いやろうとしていた所があり、心療内科で教えてもらった方法を試してみたり、体を動かしたり歌をうたって気分転換を促してみたりしていました。
だけどそうではなく、娘が一番欲しかった言葉は、「学校に行けなくなって辛いね。苦しいね。」「お母さんに一番に解ってもらいたかったのに、辛い時にいっぱいがんばらせてしまったね。」と、ありのままの娘を受け止めて抱きしめてあげる言葉だったのです。
親の会で学びながら、皆さんの言葉をひとつひとつ心に刻みながら、内沢さんの本を読みながら、ようやく気づけたことでした。

娘の喉に詰まる感じは徐々に落ち着き、頭痛や不安は時々あるけれど、友達とも近くの公園で遊べるようになっていました。
3年生になり、学校へは行かずとも、娘は新しいクラスや先生のことを気にし、楽しみで胸が少し膨らんでいるようにも見えました。
そんな矢先、公園で耳を疑うような言葉を耳にしました。同じクラスの友達が、「先生が、(娘のことを)もう死んじゃったのかなぁって毎日言ってるよ。」と、娘と私の所に駆け寄って来たのです。
この時、娘は既に他の友達からも同様のことを言われており、その心は深く深く傷つけられていました。それなのに、そんな素振りは全く見せず普段と変わらない様子でした。

しかし娘は、喉に詰まる感じが再燃し、空腹でも食事が摂れず、ゼリーやバナナに頼る日々となりました。金曜日になると、週報を友達が届けてくれることを楽しみに待っていましたが、それも嫌がるようになっていきました。寝る時も「意識を失ってしまったらどうしよう。」「死にたい。」「学校辞めたい。」不安で過呼吸気味になることもありました。
「心配。心配。」と訴え私から離れられず、何とか続けてきた仕事もいよいよ辞めざるを得ないと思いました。

夫と話し合い、また内沢さんにも相談させて頂き、学校側への事実調査を求めました。
苦しんでいる娘を目の当たりにし、不安と闘いながら、日々精一杯生きている娘が可愛そうでなりませんでした。今の娘の存在を否定している人権を無視した発言であり、これが事実であれば、不登校というだけで何故こんなにも傷つけられなければならないのか、本当に腹立たしく思いました。
娘と同じクラスの子ども達から私が聞きとったこと、娘の苦しい状況、担任への怒り、不登校児への理解のなさを手紙にしたため、校長に手渡しました。

校長とのやり取りは、夫にお願いしました。私の傍には、いつも娘がいたからです。
調査の方法について、学校側と何度かやり取りする中で、その内容に納得できなかったり連絡がスムーズに取れなかったり、夫も大変な思いをしていることが伝わってきました。
普段よりあまり感情を外に出さない夫が、私と同じように憤り、娘を守ろうとしてくれていることが、嬉しくもありました。
早朝、子ども達がまだ眠っている時間に、娘のこと学校のことを夫婦で話し合う一時が生まれました。
この時ほど夫婦で会話したことはないといったら過言かもしれませんが、会話の少ない私達が、一生懸命話し合いました。(笑)

ようやく調査報告を受けたのは、7月に入ってからのことでした。
校長室で、校長、教頭、担任、教育委員会より2人(学務課主幹、児童生徒支援課)、私たち夫婦が同席しました。

クラスの17名の子ども達から話を聞くことができたとのこと。

担任の発言は、健康観察時に、「週に複数回」、「1回だけ」、「1~2回」聞いたことがあると教えてくれた子ども達。
その時「皆で笑った」「笑わない子もいた」
「そんなこと言ったら娘が悲しむのではないかと思った」
「自分も一緒に言ってしまった」
「今は先生は言っていないし、1回だけだったから話したくない」

担任は、不適切な発言をあやふや認めたものの、娘のことを「虐げようとか思ったことは一度もなく、早く学校へ来れるようになって欲しいと思っている」と言いましたが、その態度や発言内容からは、反省の色はなく不信感が募る一方でした。

それでも、教育委員会の方が担任の発言を諭す場面があり、表向きだったかもしれませんが、それだけでも、救われたような気がしました。
また、同じクラスの子ども達が、色々な事を感じとっていて話をしてくれた事を嬉しく思いました。

後日、授業の中で担任が子どもたちに不適切な発言のことを謝り、皆で今回の言葉の意味について考える時間を持ったそうです。
また、学校に来れない友達に何と声をかけてあげたいか出し合い、その様な子ども達も温かく迎えられる学校作りに務めるとの報告をもらいました。

担任の事はともかく、学校側から報告を受け、私も夫もようやく気持ちに一区切りつき、前に進めるような気がしました。
そして、今回の後ろ盾となって下さっていた内沢さん、親の会の皆様が居て下さったこと、とても心強く感じていました。感謝の気持ちでいっぱいです。

これまでの私自身は、どちらかと言えば自分の意見を主張せず、周りの目を気にしながら周囲に同調して生きてきました。今回の件は、娘を守るために夫婦で動かざるを得ないことでしたが、どんな相手であろうと自分の意見を率直に伝える、おかしいことはおかしいと堂々という、こんな当たり前のことができて、私自身も生かされたような気持ちになりました。
自分自身の気持ちを相手に伝える、それは、自分自身の気持ちを有耶無耶にせず大切にすることで、自分自身を認めてあげること。
「どんな気持ちも大切に。」こんな当たり前で大切なことを娘から教えてもらったような気がしました。

西加奈子さんの素敵な言葉にも出会いました。「辛さを乗り越えようとしなくていい。辛いことをじっと見つめて、そうか、私は今辛いんだなと、辛さと正面から向き合うことが大事。」と。
娘の不安と重ね合わせ、娘が不安を訴える度に、「そうだよね。辛いよね。苦しいよね。」と、その不安と向き合う時間も大切に思えるようになってきました。

この夏、娘と1年ぶりに実家に帰省することができました。また、日帰りでしたが、久しぶりに家族で遠出することができました。

娘は、ようやく喉に詰まる感じがとれ、頭痛薬を飲む回数も減ってきました。
娘は、「ママ大好き」と、沢山甘えてくれます。
一日の大半を家の中で自由に過ごしています。ゲームやYouTubeに没頭する日もありますが、YouTubeで好きな歌を聞いたり、ストレッチやダンスをしたり。
一時は、私が仕事に行くことも難しくなりましたが、今では留守中に夕飯の準備をして待っていてくれる日もあります。

最近は、「暇だー!」を連発することもありますが、暇だと思う気持ちと向き合い、暇と感じる時間も大切にしたら良いんだと思っています。
どんな気持ちも大切に。自分自身を認めてあげる第一歩なのかもしれません。

娘がどんな風に自分自身の道を歩んで行くのか、楽しみにしている私が今はいます。

ママ、どうぞ! - 内沢 達(HP管理人)

2026/10/08 (Thu) 15:22:37

りょうこさん、ご投稿ありがとうございます。

りょうこさんが写真を送ってくださいましたので、僕のほうからみなさんに紹介します。

今朝、娘さんがフレンチトースト作りました。

そして1番目に「ママどうぞ!」と持ってきてくれたそうです。

とってもうれしいですね。

私たちも幸せな気持ちがいっぱいになります。

「いろいろな自分と対話して遊ぶ」 - たっちゃん

2026/09/21 (Mon) 19:17:50

昨日の9月例会でちなちゃんから、お母さん(昨年)、お父さん(今夏)を亡くされた話がありました。ある程度のお年だったとはいえ、平均寿命にもまだ遠く届かない悲しいことでした。そこで思い出したのが4年半前のちなちゃんの話です。僕は掲示板に2022年3月19日に次の通り投稿しました(今の掲示板では読めません)。

「ひと月はあっというまです。明日は3月例会日です。先月の例会(2/20)でのことですが、ちなちゃんがとても味わい深い話をしてくれました。その最後は『今、いろいろな自分で遊んでいる』とのことでした。ちなちゃんによると、『たのしい』のはもちろんいいことだけど、それが過ぎて『たのしくないと人生じゃないよね』となったら、そうした考えには背を向けたいと。たのしい人生だけが賞賛されるのはいかがなものか。たのしくない人生もいいではないか。ちなちゃんは途中、『つまんない人生、万歳!』とまで言った。いま、そういう自分と対話して遊んでいるそうです。

2年前に最愛の夫を亡くしたちなちゃんは、今の一番の望みや自分のしたいことについて、夫のことを好きでい続けていることだと述べました。時々悲しさやさびしさからぽろっと涙が落ちるのは当たり前でしょう。でも、ちなちゃんの『いろいろな自分』はそれにとどまりません。その涙について、『それは悲しいんじゃないんだ。愛している涙なんだ。今日も夫のことが好きだったんだ』と。そう思ったことが『うれしい』と続きを話してくれました。

ちなちゃんは、『私は自分の世界の中でしか生きていない』と謙遜気味に言われたけど、僕らみんなに共通している。僕らは誰もが『自分の世界』のなかで生きていて、その自分とはじつはいろいろだ。同じことでもこう思ったり思わなかったりする。行動面でも、いつもこうする・しないとは限らない。

ちなちゃんがいうように、悲しいし悲しくないのだ。おなじく、つまらないし、つまらなくないのだ。端折るが、そういうことで『いろいろな自分』はわかる。でも、それで今、『遊んでいる』とはどういうことだろうか? 遊び心いっぱいのちなちゃんの明日の話がたのしみです。」

その「明日の話」、4年半前の3月例会ですが、ちなちゃんは「苦しいけど幸せ」「辛いこともあるけど、それをひっくるめて私は幸せ」「幸せと対照的なことが、どうして幸せではないと言えるか」などと話されました。

いかがでしょうか。
ちなちゃんから、さらにその続きの話を聞かせてもらいたいですし、みんなで「いろいろな自分と対話して遊ぶ(たのしむ)」境地を深めていきたいものです。

30年前に亡くなった村方勝己君 - 内沢 朋子

2026/09/19 (Sat) 16:08:47

昨日、私たちは、知覧に出かけました。9月18日は30年前、当時中3だった村方勝己君がいじめでそのかけがえのない命を自ら絶った日です。
数日の不登校のあと、「家族にありがとう」「good luck!」と遺書に記し、14歳の命を絶ちました。
その後、私たちは、毎日のように知覧に通いつめ、村方さんご両親といじめの事実を明らかにし、裁判に訴えました。
悲しい事件でした。あれから、もう30年・・・です。ご両親の村方敏孝さん、美智子さんはお元気で、地域の介護施設などでご活躍されています。
命を守ることがどれだけ大切なことか、亡くなった勝己君は私たちに教えてくれています。
親の会のHPに掲載されています。ご紹介しますので、ぜひ、読んでくださいますように、切にお願いします。

敏孝さん・美智子さんの手記
http://www.futokokagoshima.com/15/toshimichishuki.html

美智子さんの講演
http://www.futokokagoshima.com/minasan/murakatasan.html

内沢 達の陳述書
https://tachan.sakura.ne.jp/genri/chinjyutusho.html

Re: 30年前に亡くなった村方勝己君 - 内沢 達

2026/09/19 (Sat) 16:48:53

敏孝さん・美智子さんの手記は、15周年記念誌『登校拒否もひきこもりも明るい話』(2004年)に寄せられたものです。そのタイトルは、「勝己は私たちのなかで生きています」「今、私は強く優しく」です。すぐに読んでいただけると思います。

美智子さんの講演タイトルは「かけがえのないわが子を失って」で、「登校拒否を考える全国合宿2002」(於:霧島)での講演原稿の全文です。とても読みごたえがあります。初めから通してお読みいただきたいと思います。

僕の陳述書は、2001年に鹿児島地裁に書証として提出したものです。事件の構造がとても分かりやすくなっています。ただし、とても長文です。初めから読むのではなく、最初は一番最後、七項目目の「親の責任」をお読みいただいて、そこから初めにもどっていただくのもよいかもしれません。

この掲示板に僕は8/28、「(学校に)行きたくないは命を守るための言葉」との8/26NHKあさイチの内容を紹介しました。不登校を無条件に認められるようにならないと子どもの命は守れないと思います。

作家・凪良ゆうさんのこと - 内沢 達

2026/09/07 (Mon) 10:56:56

今朝のNHKあさイチの後半のほうで、作家・凪良ゆうさんへのインタビュー(絵)があった。
そこで、思い出しました。

3年前の9月例会で紹介したのですが、読売新聞オンライン(2023/8/28)の「15歳で、一人で生きる決意、本屋大賞作家・凪良ゆうさんを絶望から救った『物語』‥‥ STOP自殺 #しんどい君へ」という記事です。

https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/stop01/interview/20230828-OYT1T50124/#google_vignette

読み直してみて、凪良さんの10代がどれほど大変だったか、あらためて驚かされます。
多少の困難や心配事は誰しも避けられませんが、そうしたとき「なんのこれしき」と受けとめる勇気を小生はもらったように思います。

と同時に、年齢を問わず、無理は禁物でしょう。
色紙に記した凪良さんのメッセージは、「嫌なところからは全力で逃げて‼ なにひとつ がんばらなくていい‼ 」でした。

「ひとつくらいはがんばる」ではなくて、
「なにひとつ がんばらなくていい‼ 」は、とても深いメッセージだと思います。

「行きたくない」は命を守るための言葉 - 内沢 達

2026/08/28 (Fri) 22:17:02

8/26(水)NHK[あさイチ]で、「子どもが不登校になったら‥‥そのとき親はどうすれば?」があった。あまり感心できなかった。10年、20年前ならいざ知らず、不登校が全然めずらしくなくなった今日、「どうすれば?」の前に、不登校自体を少しは前向きに捉える視点が番組制作者の側にあってもよさそうなのに、ほとんど感じられなかった(一部、体験者の声としてはあったが)。

イイところもなかったわけではない。その一つは、番組の後半(9時台)に入って、今まで無理やりにでも学校に行かせようとしていた母親が変わった話だ。中学生の兄弟2人の不登校を認めるようになったいきさつを次のように話していた。

(長男が)「どうしても行かない」って泣かれて、もうこっちもいいやとなって、「いいよ」と言ったときに、「本当にお母さんが今日いいって言ってくれなかったら、僕死ぬつもりだった」と言われたんです。

それで私、すごいショック受けて‥‥
なんてすごいことをこの子にしてしまったんだろう‥‥

そこから無理に学校に行かすっていうのはダメなんだなと思ったんですね。
だから、下の子のときも上のお兄ちゃんのその一言を思い出して「行きたくない」っていうことは命を守ることなんだなって思って‥‥

↑は、僕なりに母親の話を起こしたものですが、最後のところは、TV字幕には

「行きたくない」は命を守るための言葉なんだなって

とありました。

年々、過去最多を更新するような子どもたちの自殺は、不登校がまだまだ十分に認められるようになっていないことと無縁ではないと思います。

森吉山(秋田)に登ってきました - 森田 淳子

2026/07/27 (Mon) 20:09:35

「花の百名山」でも知られる秋田県の森吉山に登ってきました。雨は降らなかったのですが、ガスが出ていて、鳥海山や岩手山、早池峰山まで見えるはずが全く見えず、残念でした。

でも、ゴンドラを降りて頂上まで、クルマユリやニッコウキスゲ等々、たくさんの種類の花々が咲いていました。急登も岩場もなく、歩きやすい登山道でした。

ただ、雨の予報だったからか、登山客はとても少なかったです。7,8組くらい。ゴンドラ駅まで送ってもらったタクシーの運転手さんの話によると、私たちが登る予定の登山道に熊がでたという話は、聞いたことがないとのこと。

麓の町でも、森から森へ移動するために道路を横切る熊を見ることはあっても、悪さをしたという話は聞かない。熊は人間が怖いと知っているからと言っていました。

さすが、マタギの里です。秋田と言えば熊と言われるのに困惑気味でした。昔から熊はいましたからと。ちなみに、この辺りでは焼酎の霧島が人気だそうです。

次の日も、秋田内陸線にのって、縄文時代の遺跡を見学したり、マタギ資料館に行ったり。不便なところでしたが、その分、いろいろな人と話したり、親切にしてもらったり、こんな旅行もいいなと思いました。

それでも、熊は怖かったです。でも、それ以上に登山道のお花が素晴らしかったです。いい山でした。写真はニッコウキスゲです。

Re: 森吉山(秋田)に登ってきました - megurin

2026/08/25 (Tue) 21:13:45

酷暑の真っ最中、ひんやりした空気が画像から流れてくるようです。ご夫婦でのご旅行ですか?

Re: 森吉山(秋田)に登ってきました - 内沢 達(HP管理人)

2026/08/26 (Wed) 14:06:35

もちろん、淳子さんは重則さんといっしょの旅です。
僕らも、お二人に続きました。

夏に涼を求める - 内沢 達

2026/08/20 (Thu) 21:47:04

熊本地震や千葉豪雨など、たいへんなことが相次いでいます。
そうしたなか僕らはこの8月上旬、東京・山梨・長野で幸せにもいっぱい遊んでくることができました。
こんな暑いときに旅行するなんて!?とも思われるかもしれませんが、暑いときだからこそ、積極的に涼を求めたいと思いました。

いい年「なのに」ではなく、いい年「だから」じっとしてないほうがいいと思っています。
タツandトモ、計160歳。今夏もまた思い出深い経験がいっぱいできました。娘と3人で、暑い東京を離れ、涼しい八ヶ岳南麓を拠点に4泊5日、活動してきました。

僕のHPに新しく、4つもページをアップしています。
そのなかの一つ、僕らが宿泊したコテージ(貸し別荘)の様子を紹介したものをここに貼り付けておきます。
https://tachan.sakura.ne.jp/yamahana/yatsunanroku.html
よろしかったら、他もご覧いただけますとうれしいです。

写真は、標高1700~1800mの霧ヶ峰高原・木道を気持ちよく歩く様子です。

Re: 夏に涼を求める - megurin

2026/08/25 (Tue) 21:42:35

HP拝見しました。
霧ヶ峰、車山、八ヶ岳・・懐かしい景色がいっぱいでした。
コテージ、いいですよね!
こどもが小さいころはテントを張ってキャンプでしたが、親の自分たちがしんどくなってきてからは、コテージでなんちゃってキャンプを楽しんでいました。
どれもこれもいい思い出です。

田んぼアート - 森田 淳子

2026/07/27 (Mon) 20:02:52



秋田内陸縦貫鉄道の沿線の田んぼアートの一つです。

人気アニメのクレヨンしんちゃん!

絵本とテーマ - たっちゃん

2026/07/13 (Mon) 15:22:09

ヨシタケさんは『もりあがれ!タイダーン ヨシタケシンスケ対談集』(白泉社、1923年)のなかで、絵本とテーマの関係について、次のように述べています。

「絵本ではやっぱり言葉というかテーマが先にあって、そこにスケッチして溜めておいたアイデアを(中略)思い出して言葉で組み立てていく、その言葉を“つまり絵で言うとこうだよね?”という順番で考えていくことが多いです。」(70ページ)

実際、ヨシタケシンスケ展で見た「アイデアスケッチ」は言葉がほとんどで絵は少しでした。
『ヨシタケシンスケ展かもしれない・公式図録』(2022年)には各絵本のテーマが記されています。そのテーマは主だったものと思われますが、子どもの自由が認められているだけでなく、大人の価値観を問い、常識の転換を迫るものにもなっています。発想やものの見方・考え方を大事にする、ヨシタケさんの絵本の魅力はここにありとの感さえします。

いくつか紹介します。書名に続く言葉がヨシタケさんが記したテーマです。

「りんごかもしれない」 ── 考え方のバリエーション
「このあとどうしちゃおう」── タブーをなくしたい。新しいとらえ方、価値観の提案
「ころべばいいのに」── 負の感情の肯定
「もうぬげない」── 失敗・あきらめの肯定
「こねてのばして」── 触角の重要性/きもちよさの肯定
「ねぐせのしくみ」── 日常を愛でる
「りゆうがあります」── クセとウソの肯定
「ふまんがあります」── 大人のずるさ、子どものずるさ
「なつみはなんにでもなれる」── わかりあえなさを愛でる
「わたしのわごむはわたさない」── 大事なものとは何か
「つまんないつまんない」── 「解決しないこと」の肯定
「あつかったらぬげばいい」── 弱さの肯定
「にげてさがして」── 自分でえらぶ練習
「みえるとかみえないとか」── できないことで何ができるか/人と自分は何が違う?何が同じ?

ヨシタケシンスケ - たっちゃん

2026/06/22 (Mon) 20:59:34

昨日の6月例会前半はW杯チュニジア戦とほぼ同時進行でした。点が入った時は重則さんに教えてもらって、勝利を確信しながらの交流でした。

今月もいい会でした。参加者は多くはなかったのですが(18人)、みなさんいっぱいお話をされ、僕は用意していたことも話できないほどでした(と言いながら、一番時間をとっていたのは、もちろん司会進行の僕なのですが)。

ところでヨシタケシンスケ展に行って、一番よかったのは各絵本作品を作り上げて行く、その前のアイデアスケッチ(拡大複製版)を見られたことです。

たとえば『それしかないわけないでしょう』(2018年、白泉社)のアイデアスケッチの初めは次のようでした。「これからの子供、若者に必要なこと」として、「どんな変化にもじゅうなんに対応できるしなやかさ」「ひとつのことにとらわれない」「たくさんの価値観を知っておく」「様々な価値観を持つ、ということはつまり想像力がより大事になってくる」「ものごとは考え方しだいでどうにでもなる」(写真を撮っていますので、7月例会では、そのコピーを紹介したいと思います)が記されていました。

ヨシタケさんがいつも大事にしているものの見方や考え方が集約されているように思いました。私たちの会では、Iさんが「物事にはいいも悪いもない」と言っています。
http://www.futokokagoshima.com/ipage.html#1
それはヨシタケさんの「ものごとは考え方しだい」と同じです。

私たちの会も「柔軟さ」や「とらわれないこと」、「たくさんの価値観」「想像力」などを大切にしていくとこの先、ますます有益な交流が続けられるように思います。

写真は淳子さん、重則さんが例会参加者のみなさんにご用意されたブルーベリーです。
ブルーベリー、いっぱいですね。そして各参加者はいっぱいいただいて帰りました。
僕ら夫婦は口にそのままいっぱいほおばったり、今日の昼食は、ヨーグルト(自家製)にトッピングしていただきました。とても美味しかったです。
淳子さん、重則さん、ご馳走様。そして、ありがとうございました。


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