登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)掲示板

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「そのまんまの私でいい」 - りょうこ

2026/11/07 (Sat) 20:18:19

私の家族は、夫と私、3人の子ども達、ウサギ1匹の6人家族です。

長男中学3年生、次男小学6年生、長女小学3年生、ウサギのちゃちゃ1歳半です。

次男と長女は、学校に行かず、自宅で好きなことをして過ごしています。
そんな2人を見て、長男は「不登校組は、暇で良いな!」と言い捨てて、毎日登校しています。

私は、「不登校」という言葉があまり好きではありません。
それは、登校することを主としていて、打ち消しているからです。

学校へ行くことが当たり前の世の中ですが、学校へ行けない少数派は肩身の狭い思いをしています。

学校へ行くことが当たり前ではなく、学校へ行くこと、行かないことを選択できる世の中であれば、登校することを主とせず、登校組、在宅組と同じ目線で言えるのではないかと思っています。

なので長男には、「不登校という言い方はキツイから、せめて在宅組って言ってね。」と勧めています。

そんな長男も、実は小学3年生の時、2週間ほど登校拒否をしたことがありました。
突然、「明日から学校に行かない。」と言いました。
しばらくして理由が分かったのですが、友達から言われたことに傷ついてのことでした。
担任が早急に解決に動いてくれたこと、長男は走ることが得意で運動会が大好きだったこと、丁度その時期とも重なり、学校へ戻すことが出来ました。
私は、この経験から、学校へ行かない理由を知って早急に対応すれば、不登校は解決できると思っていました。
ですが、それは間違っていました。

そもそも不登校は、解決する問題ではなかったからです。

長男が再登校し始めてまだ不安定な時期、校庭でソフトボールをしている友達を食い入るように見つめて、「僕もやりたい。」と言い出しました。

学校に行かなくても、好きな事、夢中になれる事が何かひとつでもあればと思い、長男のやりたい気持ちを大切に思いました。

それから私たち家族は、週末になると平日より早起きして、暑い日も寒い日もソフトの試合の応援に明け暮れる日々を、7年ほど過ごしています。

勉強の苦手な長男は、宅習帳の評価は、いつもC。
提出する事が1番大事で、内容は気にしません。
野球をする為に中学校へ行き、野球をする為に高校へ行こうとしています。

長男なりの、学校へ通うきつさや勉強のストレスを、次男に向けているのかな、とも感じています。

小学校で生まれたウサギが欲しいと言い出したのは、次男と長女でした。

私は、当初反対していましたが、元気のない長女に笑顔になってほしかったのと、次男の熱意に根負けし、ちゃちゃを我が家へ迎える事になりました。

長男は、賛成も反対もしませんでしたが、どこか嬉しそうでした。そして今では、一番ちゃちゃを可愛がっています。

交代で、ちゃちゃの当番をしているのですが、次男と長女が餌やりを忘れていたら怒るくせに、自分も寝坊して餌やりの時間がないと、「お前ら暇なんだから、餌やっとけよ。」と命令し、よくケンカになっています。
サークルを広げて、その中に長男も一緒に入り、ちゃちゃとお昼寝したりする可愛らしい一面もあります。


次男が5年生になってすぐ、2年生の長女が学校へ行けなくなりました。
その後、半年程して次男も学校から足が遠のくようになりました。

次男も低学年の頃、「勉強が分からない」という理由で学校へ行き渋る事がありました。

私は、「勉強が分からないのなら、先生に聞けばいい。」と、嫌がる次男の手を引き、学校へ連れて行ったこともありました。

支援員の先生をつけてもらったり、学年が上がり、ゆるい担任に変わったりしたことで、次男の行き渋りは次第になくなりました。

ですが、新学期を迎える度に宿題の量が増え、泣きながら宿題をしては、「勉強なんて、子どもを苦しめるためにあるんだ。」「学校なんてクソだ。」と、次男は、何度も何度も口にしていました。

その都度担任に相談し、次男に合った宿題の量で良い事は伝えていましたが、真面目な性格で、皆と同じように頑張っていました。

長女が学校へ行けなくなった頃、次男にとっては、毎年泣きながら宿題をしている時期でした。
しかし次男は、驚くほど丁寧に宿題に取り組んでいました。
「Aを10個もらったら、宿題お休み券がもらえる!」と、意気込んでいました。
が、疲れていっぱいいっぱいの日もありました。
無理をしないよう声をかけていましたが、それでも、手を抜くことは出来ませんでした。

今思えば、長女のことで私が不安定になっていた時期であり、母に心配をかけまいと頑張っていた次男の優しさだったと感じています。

「学校休みたい」と次男が言い出した時も、これまでの頑張りを見ていたので、納得できるものがありました。
長女も頭痛や吐き気で苦しんでいたので、「完全に心が折れてしまう前に休ませよう。」と、次男の気持ちをすんなり受け入れたつもりでした。

ですが、長女が学校へ行かないことと、次男が学校へ行かないことはどこか違っていて、自宅でごろごろ、ゲームやYouTube三昧の次男の姿を見ていると、不安やイライラが募り、ついつい小言を言ったりしてしまいました。

その度に次男は「なんかごめん。」と謝り、私は、言ってしまったことに後悔する繰り返しでした。

ウサギのちゃちゃは、毛並みがふわふわで、長い耳に、クリッとした目がとっても可愛くて、撫でられることが大好きです。
ちゃちゃを撫でていると、手から伝わってくる温かさ、ふわふわの柔らかさに本当に癒されます。

いつも私は、ちゃちゃを撫でながら、子ども達が学校へ行かない不安な気持ちを話していました。

ちゃちゃは、何も言いません。
ただそこに居て、じっと私の話を聞いているだけです。

何度、ちゃちゃのようになれたらと思ったことか分かりません。

親の会で、「自分が真っ先に幸せになる」「子どもを信頼して、子どもの人生は、子どもに任せておく」と学び、私は自分の気持ちを一番に、日々を楽しく心地良く過ごすことに集中するようにしました。

長女が喉に詰まる感じがあり、思うようにご飯が食べられない時期がありました。
それでも長女は、ドーナツパンが大好きで、それだけは食べられました。

私は以前、お菓子作りやパン作りに夢中になっていた時期があり、手作りのおやつが大好きでした。
何より、あの出来たてのほんわか甘い匂いは、幸せを感じる瞬間そのものでした。

長女がドーナツパンを作って欲しいと言うので、初めてチャレンジしてみました。
オーブンで発酵させてから、油で揚げてと手間ひまかかりますが、ふわふわの手作りドーナツパンを初めて頬張ったときの感動とおいしさは、格別でした。

また、子ども達が美味しそうに頬張るその表情も何とも言えません。

そして、出来上がったおやつやパンは、いつでも私に満足感を与えてくれるのでした。

家族で初めて行ったカラオケも最高でした。
マイクを取り合い、堂々と楽しく歌う姿に、「こんな歌も知っていたんだ。」と、それぞれに新たな一面を発見する機会となりました。
次男の発声が特に良くて、とても上手に歌っていました。
またこんな時間を家族で持ちたいです。


次男には、好きな事がひとつありました。
兄の背中を追いかけて、2年生から始めたソフトボールでした。

学校へ行かない日の夕方の練習に行くことに、初めは後ろめたさがありました。しかし、次第に堂々と平日の練習に参加するようになりました。

平日の日中はごろごろ好きに過ごし、週2回の夕方練習と週末の試合になると動き出す。
試合の日は、早起きして1日をソフト仲間と過ごす。

そんな次男を数ヶ月見ていると、「よくこんな生活出来るなぁ。」と、だんだん感心するようになってきました。
時々、ソフト仲間から「学校行かなくて良いね。」と言われたと、悔しそうに話すこともありました。

6年生になり、10日程学校へ行きましたが、すぐにまた行けなくなりました。

それでも、ソフトだけは変わらず続けていました。
キャッチャーをしていたので、試合となれば常に動きっぱなし。
体力低下も感じられ、正直「この1年、気持ちが持つだろうか。」と思っていました。

夏休み、ソフト仲間4人で朝練を始めました。暑い中、近くの公園で走ったり、素振りをしたりと、自分達でメニューを決めて取り組んでいました。
これも、いつまで続くかなと思っていましたが、夏休み最後の日までやり遂げました。

その成果あってか、試合でもヒットやホームランを打てるようになってきました。

9月の修学旅行は、行きたいと話していました。
学校に行っていないのに、修学旅行だけ行くなんて、私には有り得ない話だと思っていました。

また、ソフト部に買ってくるお土産のことで、友達とケンカをしていました。

次男は、皆で話し合ってお土産を決めようと思っていました。
しかし、ある友達が、勝手に買う物を決めて、しかも、何を買うのか次男には教えてくれなかったそうです。

「明日学校に来たら教えてあげる。」
「学校に来てないヤツは、話に入ってくる権利は無い。」
「お金だけ持ってくればいい!」と言われたと、次男は、とてもとても悔しそうでした。

その後次男は、全てその友達に、お土産のことを任せることにしました。

今回の件で「修学旅行への気持ちが揺らぐかな?」と思って見ていましたが、次男は、ワクワクしながら旅行の準備をし、当日も朝早く起きて、一点の曇りもなく出かけて行きました。
次男の気持ちの強さを感じました。

そして翌日、「楽しかったー!」と、元気よく帰ってきました。

真っ先に話した事は、ソフト部のお土産のことでした。
次男とケンカをしていた友達が決めたお土産は、皆から集めたお金では足りず、その友達が、一人で自分のお小遣いから不足分を出して買ったこと。

友達が困った顔をしているのを見て、「ざまーみろ。」と思ったこと。

「あいつが勝手に決めたことだから、全部あいつに任せれば良いじゃん。」と、次男の意見に他の友達も同意してくれて、お金の不足分を集めることには、話が及ばなかったこと。

「あーすっきりした!」と、以前の悔しい思いを晴らすことができて、満面の笑顔でした。

私は、自分の気持ちをストレートに相手にぶつけた次男の話を聞いて、どこか清々しく、次男の逞しさを再確認しました。

後日、不足分のお金を払い、事のいきさつを、私も相手の親と話しました。

その子は、ソフト部のお土産を、自分の少ないお小遣いの中から多く負担したため、自分のお土産が買えず悲しい思いをしていたこと、なぜ現地で皆で話し合えなかったのか、父親からとがめられ、その夜、泣いていたことを知りました。

私は、そのことも次男に話ました。
次男は、「謝ろうかな。」と言っていましたが、結局お互い謝らずに、いつの間にか仲直りしていました。

こうしてケンカのできる仲間がいること、ケンカしても、また一緒にソフトを頑張れることが素敵だなぁと感謝の思いでした。

「修学旅行に行けたんだね。良かったね。」と周りから声をかけられました。

ですが私は、次男が修学旅行に行けたことよりも、修学旅行を通して、自分の意志を貫く逞しい次男を見れたり、いつもことある事に「不登校組が!」と次男に言い捨てている長男が、ホワイトボードに「楽しめよ。」とメッセージを書いてくれていたり、いつもケンカばかりしている長女が、次男が居ないことが淋しくて泣いたり。

そんな兄妹の優しさを感じられたことが、何よりも嬉しく思いました。

10月に入り次男は、運動会の練習がある時間だけ、7日ほど学校へ行きました。

先週末、小学校最後の運動会でした。
懸命に力強く駆け抜ける次男の姿に、秘めたエネルギーを強く感じ、もうそれだけで充分で、胸が熱くなり、涙が溢れてしまいました。

好きなことが、こんなにも次男の原動力となっていることに、感動した日でもありました。


好きな野球をするために学校へ行き、頑張っている長男。

学校へ行かず、好きなソフトや学校行事には参加する逞しい次男。

学校へ行けない自分を認められず、もう一人の自分と戦っている長女。

そんな3人の子ども達が、私は愛おしくてたまりません。

ありのままの子ども達を、そのまんま全部受け止められているのか。
正直に言えば、今でも葛藤する日があります。

ですが、3人の子ども達は、どんな私でも、無条件に愛してくれています。

長女が気づかせてくれたことでした。

「そのまんまのあなたで良いんだよ。」
そう長女に言いながら、ある時私は、自分自身にも言い聞かせているような気がしたのです。

そのまんまの、私でいい…。

厳しい両親に育てられ、3人兄妹の末っ子だった私は、兄のように怒られないように、いつも両親の顔色を伺っていました。
こうしなさい。ああしなさい。
もっとこういう人間になりなさい…。
どこまで頑張っても、行き着く所がない…。
私は、自分に自信がなく、自己肯定感の低い、人間関係に疲れやすい大人になっていました。

長女は、私から離れられないほどの不安に駆られ、身動きできない状態になりました。
それでも、追い詰めた母親の私を責めるのではなく、自分自身を責めて、その辛さを様々な形で表して、大好きなお母さんに気づいて欲しくて、守って欲しくてたまらなかったのです。
なぜなら、無条件に、私のことを愛してくれているからです。

娘の苦しみは、「お母さん、お母さんもそのまんまのお母さんで良いんだよ。」 と言ってくれているようでした。

お母さんって、何て幸せなんでしょう。

そして私は、なかなか自分の事を好きになれませんでしたが、長女と次男が登校していた時の自分より、今の自分の方が断然好きだと言えます。

以前は、朝から朝ドラなんて見れませんでした。
子ども達を学校へ送り出した後は、掃除機までかけてから仕事へ行くことが日課でした。

今では、毎朝朝ドラを楽しみに、8時までは頑張る。
掃除機もできたところまで。
なんなら、忙しいフリして長女にお願いする。
そして、真剣に朝ドラを見て、朝から泣いたり笑ったり。
仕事が昼からの時は、うっかり次の朝イチまで見てしまい、「あーもうこんな時間だ!」と、バタバタする始末。

夕食を作る時間になると、不思議とピアノが弾きたくなり、「ちょっとだけ」とピアノに向かってしまう。

自分の「好き」や気持ちを大切にする事が、こんなに気持ちの良い楽しいことだなんて、子ども達が当たり前に学校に行っていたら、一生感じ得なかったことなのかもしれません。

そして、未だに意見の食い違う夫に対しても、少しだけ優しく大らかになれる日もあるような気がしています。

大切な大切な子ども達に、感謝の気持ちでいっぱいです。

白馬の二人 - たっちゃん

2026/11/06 (Fri) 08:10:59

下の昨晩の投稿のように、ひとつ紹介したら、またもうひとつ紹介したくなりました。小生の勝手に、またお付き合いねがいます。

写真は、1998年長野オリンピックのときにジャンプ競技などがおこなわれた白馬(はくば)村の岩岳(いわたけ)でのふたりです。

山頂部が雲の中で見えていませんが、後ろの白馬岳(しろうまだけ)などの白馬三山(はくばさんざん)は雪で白です。その下の真ん中が紅葉、一番下はまだ緑という、晴れていたら「三段紅葉」がきれいといわれているところです。

別のところですが、群馬県嬬恋村「軽井沢おもちゃ王国・観覧車」からのカラマツ林・黄葉の動画もあります。1分ほどです。ご覧ください。

https://youtu.be/MDuKfsUkXi4

紅葉のなかの空中遊覧 - たっちゃん

2026/11/05 (Thu) 23:02:37


10/30から3泊4日、阪急の紅葉観賞ツアーにトモちゃんといっしょに行ってきました。長野、群馬、新潟をまわりました。僕のHPへのアップはだいぶ先になりますので、とりあえず一番の見どころを紹介します。

新潟の苗場高原の「苗場ドラゴンドラ」からの眺めです。天気は良くなく小雨でしたが、それでも素晴らしかったです。

日本最長・全長5.5㎞、時間にして25分間もの空中遊覧でした。次の動画は、途中のわずか51秒です。クリックしてご覧ください。

https://youtu.be/HBv47yQAEwU

我慢できず霧島・白鳥山へ - たっちゃん

2026/10/27 (Tue) 17:09:11


10月下旬と言うのに、扇風機は止められません。
高原を吹き抜けるようなさわやかな風ではありませんが、離せません。

3週間も前のことですが、10/6、トモちゃんと霧島えびの高原の白鳥山(しらとりやま)登山をたのしんできました。

天気もよく、とても気持ちよかったです。
なにが我慢できなかったんでしょうね。
よろしかったらクリックしてご覧いただけますとうれしいです。

https://tachan.sakura.ne.jp/yamahana/shiratori202610.html

写真はキリシマヒゴタイと昼食お弁当です。

愚か? - たっちゃん

2026/10/23 (Fri) 06:16:08


先日の10月例会の前半で僕は、み~やさんの新しい人生の門出にと思って、映画『汝、星のごとく』に登場した人間関係の一端を紹介させてもらった。映画がとてもよかったので、この度原作を読んだ。映画には映画のよさがあるとは言うものの、僕は凪良ゆうさんの原作のほうにいっそう魅かれた。

一例をあげると、映画にはなかったが、ヒロインの暁海が刺繍の先生・瞳子に「わたしには瞳子さんのような強さはありませんから」と自嘲気味に言ったあと、次の通りやりとりが続いた。

「わたし、強くないわよ?」
「強いですよ。わたしが知っている中で一番強い女の人です」
「そう? 若いころはなにかあるたびにピーピー泣いてばかりだったけど」
「想像できない」
「強いんじゃなくて、愚かになれただけだと思う」
「愚か?」

その続きは「小説をどうぞ」だが、僕の場合は「愚か」と聞いて思ったのが、親鸞聖人が自らを「愚禿(ぐとく)親鸞」と名のったことやあの良寛さんがやはり自らからを「大愚(たいぐ)良寛」と称したことだ。

小説からは離れてしまうが(いや、深いところでつながっている!?)、僕は「人間、愚かである」ことがとても大事だと思っている。

「また、たっちゃん、おかしなことを言っている!」
その通り!

健康新常識! - たっちゃん

2026/10/19 (Mon) 20:25:42

あるいは昨日の10月例会で健康情報の交流もあるかもしれないと思って用意していました。でも、今回はあまり話題にならず、出番がなかったので、ここで紹介させていただきます。

写真は、長年、兵庫県尼崎市で町医者をされてきた長尾和宏さんの『病気の9割は自分で治せる!』(PHP新書、今年5月)と『病気の9割は歩くだけで治る!PART3』(ヤマケイ文庫、昨年11月)の表紙です。

この長尾和宏さんと鹿児島の森田洋之さん(僕とトモちゃんのかかりつけ医でもあります)らが、コロナウイルスの真実やワクチンの問題について、YouTubeチャンネル「岡田結実と学ぶ地上波タブーの健康新常識!」のなかで、とても興味深いお話をしています。

https://www.youtube.com/watch?v=H8Ebt9NHOic

https://www.youtube.com/watch?v=aPBXGLeiAsU&t=640s

https://www.youtube.com/watch?v=EHddUbMqSZM&t=49s

どうぞご覧ください(各25~33分です)。

どんな気持ちも大切に - りょうこ

2026/10/08 (Thu) 09:05:32

娘が学校へ行けなくなったのは、小学校2年生が始まってすぐのことでした。
1年生の3学期、友達関係で心を傷めていた娘は、児童クラブのおやつの時に嘔吐した事をきっかけに、不安で給食を食べることができなくなりました。
昼休みに友達と遊ぶことが大好きな活発な1年生でした。このことが、不登校に繋がっていくとは、その時は思いもしませんでした。
またクラスで皆と一緒に給食が食べられるようになることを目標に、娘よりも私が必死でした。
4時間目の終わる頃に学校に娘を迎えに行き、自宅で昼食を済ませ、またすぐに学校へ送る。次のステップは、保健室で私が付き添いのもと給食を食べる。そして、徐々に教室へと戻していく。段階を経て、もうすぐ私の給食見守りも卒業できるだろうと希望を持ち、2年生になりました。
ところが、担任が怖いという理由で、あっけなく学校へ行けなくなりました。私も必死だったので、給食の見守りどころか、最後は授業の見守りまでしましたが、娘はどんどん笑顔が消えて元気がなくなり、夜も不安で眠れず、このまま学校へ行かせたら、娘が娘でなくなってしまう、死んでしまうと感じました。

学校を休み始めてから、娘はすぐに元気を取り戻しました。ですが、今度は私の元気がありません。涙が溢れ、無気力状態となり、体が動きません。暗い暗い出口の見えないトンネルに迷い込んでしまったかのようでした。
両親には、「娘が不登校になったのは、甘やかして育ててきた結果だ。」と言われ、気持ちのやり場がなく、いっそう不安を掻き立てられました。一人、部屋にこもってしまうこともありました。

そして今度は、学校に代わる娘の居場所を探し求め、私自身の不安を収めようとしてしまったのです。

せっかくなら好きな事をしようと、以前から娘の大好きだったチアダンスを始めました。そして、不登校の子ども達が集い遊ぶ場所、フレンドシップ、療育…。様々な場所へ、娘を連れて行きました。ですが娘は、チアダンス以外私から離れられず、ずっと付き添いが必要でした。
やがて娘は、頭痛や吐き気を訴えることが多くなってきました。

ちょうどその頃、親の会と出会いました。娘が不登校になってから半年ぐらいが経っていました。
「不登校になったのは、娘さんが素晴らしいからですよ。」初めて参加した親の会でそう言われ、意味が分かりませんでした。でも、初めて肯定的な言葉をかけてもらい、理解はできずとも嬉しかった事を覚えています。
「どこに行かずとも、家の中を楽しめば良いんだ。」言葉ではそう思いましたが、その本質を理解するまでには、まだまだ時間が必要でした。
ですが、親の会に参加する度に心が軽くなり、いつしか「暗い出口のないトンネルなんて、最初からなかったんだ。」と気づきました。

クリスマスの日、クリスマスケーキを前に、娘は急に「ケーキは要らない。」と泣き出しました。それから、喉に詰まる感じを訴えるようになり、ラーメンしか食べられなくなり、食卓を別にしたいと言ったり、気分が悪くなるかもしれないからと、外出するのも不安になり、身動きできない状態になっていきました。楽しかったチアダンスも、年中さんから頑張ってきたピアノも全て通えなくなり辞めました。

学校に行けない娘が、「何で私は学校に行けないんだろう。」「勉強もできない。」「自分が嫌い。」と自己否定を強めてしまったのは、怖かった担任のせいでも、「学校行かなくて良いね。」と言った友達のせいでも、「学校に行くのが子どもの仕事だ。」と言った祖父母のせいでもありませんでした。
ありのままの娘を認められず、疲れきった娘を色々な場に連れて行き頑張らせ、身動きがとれないほどに苦しめてしまっていたのは、他でもない、母である私のせいだったのです。

私は、頭痛や吐気、喉が詰まる感じ、不安に襲われる娘を、どこかで「娘はおかしくなってしまった」と思っていました。親の会で、「いたって何もおかしくない。子どもは、色々な形でその辛さを表しているだけだ」と言われた時、正直驚きました。そして、何だかほっとしたのを覚えています。
そして、娘の辛さが様々な症状となって出てきている事を理解できた時、初めてありのままの娘を認めることができるようになったように思います。
私は、娘の不安をどこかへ追いやろうとしていた所があり、心療内科で教えてもらった方法を試してみたり、体を動かしたり歌をうたって気分転換を促してみたりしていました。
だけどそうではなく、娘が一番欲しかった言葉は、「学校に行けなくなって辛いね。苦しいね。」「お母さんに一番に解ってもらいたかったのに、辛い時にいっぱいがんばらせてしまったね。」と、ありのままの娘を受け止めて抱きしめてあげる言葉だったのです。
親の会で学びながら、皆さんの言葉をひとつひとつ心に刻みながら、内沢さんの本を読みながら、ようやく気づけたことでした。

娘の喉に詰まる感じは徐々に落ち着き、頭痛や不安は時々あるけれど、友達とも近くの公園で遊べるようになっていました。
3年生になり、学校へは行かずとも、娘は新しいクラスや先生のことを気にし、楽しみで胸が少し膨らんでいるようにも見えました。
そんな矢先、公園で耳を疑うような言葉を耳にしました。同じクラスの友達が、「先生が、(娘のことを)もう死んじゃったのかなぁって毎日言ってるよ。」と、娘と私の所に駆け寄って来たのです。
この時、娘は既に他の友達からも同様のことを言われており、その心は深く深く傷つけられていました。それなのに、そんな素振りは全く見せず普段と変わらない様子でした。

しかし娘は、喉に詰まる感じが再燃し、空腹でも食事が摂れず、ゼリーやバナナに頼る日々となりました。金曜日になると、週報を友達が届けてくれることを楽しみに待っていましたが、それも嫌がるようになっていきました。寝る時も「意識を失ってしまったらどうしよう。」「死にたい。」「学校辞めたい。」不安で過呼吸気味になることもありました。
「心配。心配。」と訴え私から離れられず、何とか続けてきた仕事もいよいよ辞めざるを得ないと思いました。

夫と話し合い、また内沢さんにも相談させて頂き、学校側への事実調査を求めました。
苦しんでいる娘を目の当たりにし、不安と闘いながら、日々精一杯生きている娘が可愛そうでなりませんでした。今の娘の存在を否定している人権を無視した発言であり、これが事実であれば、不登校というだけで何故こんなにも傷つけられなければならないのか、本当に腹立たしく思いました。
娘と同じクラスの子ども達から私が聞きとったこと、娘の苦しい状況、担任への怒り、不登校児への理解のなさを手紙にしたため、校長に手渡しました。

校長とのやり取りは、夫にお願いしました。私の傍には、いつも娘がいたからです。
調査の方法について、学校側と何度かやり取りする中で、その内容に納得できなかったり連絡がスムーズに取れなかったり、夫も大変な思いをしていることが伝わってきました。
普段よりあまり感情を外に出さない夫が、私と同じように憤り、娘を守ろうとしてくれていることが、嬉しくもありました。
早朝、子ども達がまだ眠っている時間に、娘のこと学校のことを夫婦で話し合う一時が生まれました。
この時ほど夫婦で会話したことはないといったら過言かもしれませんが、会話の少ない私達が、一生懸命話し合いました。(笑)

ようやく調査報告を受けたのは、7月に入ってからのことでした。
校長室で、校長、教頭、担任、教育委員会より2人(学務課主幹、児童生徒支援課)、私たち夫婦が同席しました。

クラスの17名の子ども達から話を聞くことができたとのこと。

担任の発言は、健康観察時に、「週に複数回」、「1回だけ」、「1~2回」聞いたことがあると教えてくれた子ども達。
その時「皆で笑った」「笑わない子もいた」
「そんなこと言ったら娘が悲しむのではないかと思った」
「自分も一緒に言ってしまった」
「今は先生は言っていないし、1回だけだったから話したくない」

担任は、不適切な発言をあやふや認めたものの、娘のことを「虐げようとか思ったことは一度もなく、早く学校へ来れるようになって欲しいと思っている」と言いましたが、その態度や発言内容からは、反省の色はなく不信感が募る一方でした。

それでも、教育委員会の方が担任の発言を諭す場面があり、表向きだったかもしれませんが、それだけでも、救われたような気がしました。
また、同じクラスの子ども達が、色々な事を感じとっていて話をしてくれた事を嬉しく思いました。

後日、授業の中で担任が子どもたちに不適切な発言のことを謝り、皆で今回の言葉の意味について考える時間を持ったそうです。
また、学校に来れない友達に何と声をかけてあげたいか出し合い、その様な子ども達も温かく迎えられる学校作りに務めるとの報告をもらいました。

担任の事はともかく、学校側から報告を受け、私も夫もようやく気持ちに一区切りつき、前に進めるような気がしました。
そして、今回の後ろ盾となって下さっていた内沢さん、親の会の皆様が居て下さったこと、とても心強く感じていました。感謝の気持ちでいっぱいです。

これまでの私自身は、どちらかと言えば自分の意見を主張せず、周りの目を気にしながら周囲に同調して生きてきました。今回の件は、娘を守るために夫婦で動かざるを得ないことでしたが、どんな相手であろうと自分の意見を率直に伝える、おかしいことはおかしいと堂々という、こんな当たり前のことができて、私自身も生かされたような気持ちになりました。
自分自身の気持ちを相手に伝える、それは、自分自身の気持ちを有耶無耶にせず大切にすることで、自分自身を認めてあげること。
「どんな気持ちも大切に。」こんな当たり前で大切なことを娘から教えてもらったような気がしました。

西加奈子さんの素敵な言葉にも出会いました。「辛さを乗り越えようとしなくていい。辛いことをじっと見つめて、そうか、私は今辛いんだなと、辛さと正面から向き合うことが大事。」と。
娘の不安と重ね合わせ、娘が不安を訴える度に、「そうだよね。辛いよね。苦しいよね。」と、その不安と向き合う時間も大切に思えるようになってきました。

この夏、娘と1年ぶりに実家に帰省することができました。また、日帰りでしたが、久しぶりに家族で遠出することができました。

娘は、ようやく喉に詰まる感じがとれ、頭痛薬を飲む回数も減ってきました。
娘は、「ママ大好き」と、沢山甘えてくれます。
一日の大半を家の中で自由に過ごしています。ゲームやYouTubeに没頭する日もありますが、YouTubeで好きな歌を聞いたり、ストレッチやダンスをしたり。
一時は、私が仕事に行くことも難しくなりましたが、今では留守中に夕飯の準備をして待っていてくれる日もあります。

最近は、「暇だー!」を連発することもありますが、暇だと思う気持ちと向き合い、暇と感じる時間も大切にしたら良いんだと思っています。
どんな気持ちも大切に。自分自身を認めてあげる第一歩なのかもしれません。

娘がどんな風に自分自身の道を歩んで行くのか、楽しみにしている私が今はいます。

ママ、どうぞ! - 内沢 達(HP管理人)

2026/10/08 (Thu) 15:22:37

りょうこさん、ご投稿ありがとうございます。

りょうこさんが写真を送ってくださいましたので、僕のほうからみなさんに紹介します。

今朝、娘さんがフレンチトースト作りました。

そして1番目に「ママどうぞ!」と持ってきてくれたそうです。

とってもうれしいですね。

私たちも幸せな気持ちがいっぱいになります。

Re: どんな気持ちも大切に - 内沢朋子

2026/10/09 (Fri) 06:36:48


素晴らしかったです!

感動がひたひたと押し寄せる・・・

本当に、この会を続けてきてよかった・・・、とまた強く思わせてもらいました。

「親は、どんなときでも、無条件にわが子の味方になる」ことが、どれだけ幸せなことか・・・

娘さんから、いっぱい教えてもらいました。

こんな素晴らしい体験ができたことに、私たちも心から感謝!しています。

娘さんのおかげで、りょうこさんと出会えたことに感謝しています。

本当にありがとうございました!

「いろいろな自分と対話して遊ぶ」 - たっちゃん

2026/09/21 (Mon) 19:17:50

昨日の9月例会でちなちゃんから、お母さん(昨年)、お父さん(今夏)を亡くされた話がありました。ある程度のお年だったとはいえ、平均寿命にもまだ遠く届かない悲しいことでした。そこで思い出したのが4年半前のちなちゃんの話です。僕は掲示板に2022年3月19日に次の通り投稿しました(今の掲示板では読めません)。

「ひと月はあっというまです。明日は3月例会日です。先月の例会(2/20)でのことですが、ちなちゃんがとても味わい深い話をしてくれました。その最後は『今、いろいろな自分で遊んでいる』とのことでした。ちなちゃんによると、『たのしい』のはもちろんいいことだけど、それが過ぎて『たのしくないと人生じゃないよね』となったら、そうした考えには背を向けたいと。たのしい人生だけが賞賛されるのはいかがなものか。たのしくない人生もいいではないか。ちなちゃんは途中、『つまんない人生、万歳!』とまで言った。いま、そういう自分と対話して遊んでいるそうです。

2年前に最愛の夫を亡くしたちなちゃんは、今の一番の望みや自分のしたいことについて、夫のことを好きでい続けていることだと述べました。時々悲しさやさびしさからぽろっと涙が落ちるのは当たり前でしょう。でも、ちなちゃんの『いろいろな自分』はそれにとどまりません。その涙について、『それは悲しいんじゃないんだ。愛している涙なんだ。今日も夫のことが好きだったんだ』と。そう思ったことが『うれしい』と続きを話してくれました。

ちなちゃんは、『私は自分の世界の中でしか生きていない』と謙遜気味に言われたけど、僕らみんなに共通している。僕らは誰もが『自分の世界』のなかで生きていて、その自分とはじつはいろいろだ。同じことでもこう思ったり思わなかったりする。行動面でも、いつもこうする・しないとは限らない。

ちなちゃんがいうように、悲しいし悲しくないのだ。おなじく、つまらないし、つまらなくないのだ。端折るが、そういうことで『いろいろな自分』はわかる。でも、それで今、『遊んでいる』とはどういうことだろうか? 遊び心いっぱいのちなちゃんの明日の話がたのしみです。」

その「明日の話」、4年半前の3月例会ですが、ちなちゃんは「苦しいけど幸せ」「辛いこともあるけど、それをひっくるめて私は幸せ」「幸せと対照的なことが、どうして幸せではないと言えるか」などと話されました。

いかがでしょうか。
ちなちゃんから、さらにその続きの話を聞かせてもらいたいですし、みんなで「いろいろな自分と対話して遊ぶ(たのしむ)」境地を深めていきたいものです。

30年前に亡くなった村方勝己君 - 内沢 朋子

2026/09/19 (Sat) 16:08:47

昨日、私たちは、知覧に出かけました。9月18日は30年前、当時中3だった村方勝己君がいじめでそのかけがえのない命を自ら絶った日です。
数日の不登校のあと、「家族にありがとう」「good luck!」と遺書に記し、14歳の命を絶ちました。
その後、私たちは、毎日のように知覧に通いつめ、村方さんご両親といじめの事実を明らかにし、裁判に訴えました。
悲しい事件でした。あれから、もう30年・・・です。ご両親の村方敏孝さん、美智子さんはお元気で、地域の介護施設などでご活躍されています。
命を守ることがどれだけ大切なことか、亡くなった勝己君は私たちに教えてくれています。
親の会のHPに掲載されています。ご紹介しますので、ぜひ、読んでくださいますように、切にお願いします。

敏孝さん・美智子さんの手記
http://www.futokokagoshima.com/15/toshimichishuki.html

美智子さんの講演
http://www.futokokagoshima.com/minasan/murakatasan.html

内沢 達の陳述書
https://tachan.sakura.ne.jp/genri/chinjyutusho.html

Re: 30年前に亡くなった村方勝己君 - 内沢 達

2026/09/19 (Sat) 16:48:53

敏孝さん・美智子さんの手記は、15周年記念誌『登校拒否もひきこもりも明るい話』(2004年)に寄せられたものです。そのタイトルは、「勝己は私たちのなかで生きています」「今、私は強く優しく」です。すぐに読んでいただけると思います。

美智子さんの講演タイトルは「かけがえのないわが子を失って」で、「登校拒否を考える全国合宿2002」(於:霧島)での講演原稿の全文です。とても読みごたえがあります。初めから通してお読みいただきたいと思います。

僕の陳述書は、2001年に鹿児島地裁に書証として提出したものです。事件の構造がとても分かりやすくなっています。ただし、とても長文です。初めから読むのではなく、最初は一番最後、七項目目の「親の責任」をお読みいただいて、そこから初めにもどっていただくのもよいかもしれません。

この掲示板に僕は8/28、「(学校に)行きたくないは命を守るための言葉」との8/26NHKあさイチの内容を紹介しました。不登校を無条件に認められるようにならないと子どもの命は守れないと思います。

作家・凪良ゆうさんのこと - 内沢 達

2026/09/07 (Mon) 10:56:56

今朝のNHKあさイチの後半のほうで、作家・凪良ゆうさんへのインタビュー(絵)があった。
そこで、思い出しました。

3年前の9月例会で紹介したのですが、読売新聞オンライン(2023/8/28)の「15歳で、一人で生きる決意、本屋大賞作家・凪良ゆうさんを絶望から救った『物語』‥‥ STOP自殺 #しんどい君へ」という記事です。

https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/stop01/interview/20230828-OYT1T50124/#google_vignette

読み直してみて、凪良さんの10代がどれほど大変だったか、あらためて驚かされます。
多少の困難や心配事は誰しも避けられませんが、そうしたとき「なんのこれしき」と受けとめる勇気を小生はもらったように思います。

と同時に、年齢を問わず、無理は禁物でしょう。
色紙に記した凪良さんのメッセージは、「嫌なところからは全力で逃げて‼ なにひとつ がんばらなくていい‼ 」でした。

「ひとつくらいはがんばる」ではなくて、
「なにひとつ がんばらなくていい‼ 」は、とても深いメッセージだと思います。


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