登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)掲示板
赤でも青でもいいんじゃない?
- YOU
2025/03/09 (Sun) 23:17:40
映画「マトリックス」では、機械生命体に支配された世界で、人間は生まれてから死ぬまで、カプセルの中で過ごします。仮想空間の世界を現実と思ったまま一生を送るのです。主人公のネオは、抵抗組織のリーダーから、「赤い薬」と「青い薬」を差し出され、このまま仮想空間で生きていくのか、それとも真の自由を得るために機械生命体と戦うのか選択を迫られます。
ネオは「赤い薬」を選び、戦いに身を投じるのですが、この選択は当然ですよね。もし「青い薬」を選んで“ぬるい”夢の世界で生きていく事を選択したら、話が終わってしまいます。
人間の尊厳を取り戻す戦いに参加するため「赤い薬」を選択するネオはかっこいいですが、別に「俺は主人公として、観客の期待に応えて「赤い薬」を飲むんだ!」って考えたわけじゃないですよね。真実が知りたい、と考えて、自分のやりたい事を選んだだけ。だれに押し付けられたわけでもない。
親の会でも何度か話題に上った「チ。地球の運動について」でも、登場人物たちは、禁じられた地動説を研究します。命の危険を冒しながら真実をもとめる姿に、読者は感動するのですが、彼らだって、やりたい事を自分の意志で選んだだけ。命を懸けてでもやるべき事がある、真実を探求する。かっこいいし、自分もそうありたいなぁ、と思いはしますが、無理ですね。爪一枚はがされる前、拷問器具を見ただけであっさり改宗します。
もちろん、真実の探求をやめなかった先人たちがいるから今があるのでしょうが、ぶっちゃけ、自分の暮らす世界が現実だろうが仮想空間だろうが、地球が丸かろうが平らだろうが、アポロが月に行っていようがいまいが、空に浮かぶのがコントレイルだろうがケムトレイルだろうが、明治天皇がおおむろと(以下略)だろうが、自分の人生にはたいして関係ない(又はどうしようもない)んですよね。
世界の真実に届くほど私の手は長くないので、手が届くところにある、自分と家族を大事に、なによりもまず自分を大切にかわいがっていきたいですね。そして、かつて「不登校」を選択した息子二人が、この先どんな選択をしても、「しめた!」と思えるようになりたいものですが、親として認めたくないこともやっぱりあるんですよねw
でも、それもまた自分の正直な気持ちなので仕方ないですね。「親は子供を縛れない。子供も親を縛れない。」世の中の事も、子供の事もままなりませんが、ままならないことに振り回されずに「自分が幸せ」である事を一番大切にしたいですね。
今年もよろしくお願いいたします - megurin
2025/03/05 (Wed) 12:43:21
あっという間に春になってしまいました。この冬は自分とよりじっくりと向き合うことができました。
年末に一度は仕事をやめようと考えて、ふつふつと湧き上がる不安に、自分をなだめたり違う方向を見て気をそらしてみたり・・。
去年夏からはユーチューバーのかたの店の紹介投稿で、これまでにない来客数が秋の終わりまで続き、その上に地域のお祭りやアフタースクールへの外販も全部引き受けて、繁忙ままならない状況が続きました。それでも、パート3人なんとか交互に休みを取りあいながらやり切ったのですが、そういう中で小さなミス(私だけではないけれど!)が続き、状況がひと段落したところで園長から、私に認知症の初期段階や、ADHDの可能性があるのでは?という話があったのです。もし自覚があるならば、通院して対策を取りながら働くのがいいのではないか。薬までは要らないとは思うけれど・・と。矢先に同僚の一番若い方が、職場を離れるという。3人でなんとか補い合ってやってきたと思っていたので、なんだか一気に気持ちが疲れてしまい、自身は通院の必要は感じていない、来年度の契約更新をしない、求人を私の分も増やしていただいて構わない、と園長に伝えて年を越しました。もっとのんびりした場所のほうが自分にはあっているのかもしれない、人にも迷惑をかけなくて済むのではないかというのが、そのときの正直な気持ちです。
1月は残った同僚と2人で乗り切り、一月末から新しい方が来られました。
休みの日にはハローワークの求人をみてみたり、認知症やADHDの本を借りて読みました。
少しずつ、本当に辞めたいのかと自分に問う日が多くなり、結果2月半ば契約書提出期限当日に、園長と話して続けることにしたのでした。私は今の生活がとても気に入っていることを再確認したからです。
仕事も、なんとか自分でできる対策を講じてミスを減らす努力をする、あとはミスが起こらない状況を自分たちで作っていくしかないと気持ちを新たにできました。
新しく来られた方が、入ってすぐから、私に”辞めないでください、そんなミスはここがやること多すぎやから当たり前です。~さんがいてくれなければ、私続きません”と言い続けてくれていたこともありがたかったです。
彼女がなんと、亡き末妹と全く同じ誕生日だと昨日わかり驚きました。
助けてくれたのかな、とちょっと涙が出ました。
いやいや、成長したまえ、と笑っているのかもしれません・・。そもそも、偶然か・・・(笑)
掲示板、にぎわっていていいですね!私の心の温泉です。そして達さんの紹介記事は、自分では見つけられないドアを提供していただいて、いつも嬉しく思っています。こころとからだはつながっている。なにより大きな事実です。精神薬については、身近な利用者さんの理解にもつながること。毎日を大事に過ごしていきます。
Re: 今年もよろしくお願いいたします - 内沢 朋子
2025/03/05 (Wed) 15:43:00
うれしく拝見しました。
というのは、ご自分の今ある状態を否定せず、工夫しながら、やっていこう・・・!と。
そうおもうきっかけも、やはり、職場の方たちのめぐりんさんへの熱い信頼があるからなんだなあ・・・と、感動しました。
人は、人によって育ち、生きる力を育むものなんだなあ、とあらためて教えられています。
めぐりんさんの日ごろの努力のたまものもあるけれど、「やめないで」と言われた「新人」さんのひとことが、見事にめぐりんさんへの「新頼と愛」が伝わって、とってもうれしいニュースでした!
私も、認めたくないけれど「認知」がすすんで、「えーっと・・・」ということが日に何度も、です。
でも、そういう自分を否定せず、受け止めて行こうと、思うように(ひらきなおるように)なりました。
「自分を否定しない」「いつでもどこでも自分の人生の最大のサポーターは私!」と思って、
残りの少ない人生を生きていきたい!
「自分の人生の主人公は私!」と思っています。
ありがとうございました!
精神科医・夏苅郁子さんのこと - 内沢 達
2025/03/01 (Sat) 21:25:02
暖かくなってきました。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
夏苅郁子さん(1954~)という、結構お年の(そういう僕よりは十分若い)精神科医がいらっしゃいます。
僕は、過日のNHKクローズアップ現代(2/12、「精神疾患600万人、“閉じる家族”をどう支える?」)で夏苅さんを初めて知りました。ゲスト出演していたこの番組自体はたいしたことありませんでしたが、その後調べてみると彼女は精神科医療を変えるために、当事者やその家族の声をとても熱心に聞かれてきた方であることがわかりました。
そこで、少し分量が多めになりますが、精神科医・夏苅郁子さんのことをいくつか紹介させていただきたいと思いました。お付き合いいただけますとうれしいです。
夏苅さんのHP(https://natsukari.jp/)を開くと「ごあいさつ」と同時に、2015年に行ったアンケート調査への協力お願いが載っていましたので、まずそれを紹介します。
「皆さま、こんにちは。私は、静岡県焼津市で精神科の診療所を開いている、夏苅郁子と申します。
私の母は、統合失調症にかかり長く闘病生活を送りました。4年前に母についての記憶と経験を公表したことで、私の気持ちは精神科医の想いから『家族』としての想いへと大きく変わりました。私自身も家族関係などで悩み、摂食障害や重度のうつ状態となり精神科に通院して大量の薬を処方された当事者にもなりました。
私は母のことや私自身のことを公表したことで、多くの当事者や家族の方と会ってお話をすることができ、診察室では聞くことが出来なかった本音を聞くことが出来るようになりました。
しかし、ほとんどの医師はこうした本音を聞く機会は少ないのではないでしょうか。そう思うと、貴重な経験に巡り合うことになった自分だからこそ、できることがあるのではないか?と考えるようになりました。私は医師ですので、医師の世界のなかから医師に向けて当事者や家族の気持ちを発信したいと思っています。医師に当事者や家族の現実の大変さと、そして症状を抱えながらも生活を続け、生きることの意味を問い続けている皆さんの『強さ』も知ってほしいと希望します。
そうした取組みの第一歩として、皆さんから見える『精神科医の印象』についてアンケートを行い、その結果を医師に向けて発信したいと考えています。精神科医の一人一人に皆さんの本音が伝わることで、毎日の診療が良い方向に変われると思います。たくさんある選択肢から精神科を選んだ心ある皆さんですので、当事者や家族の本音が伝わるきっかけがあれば、多忙のなかで忘れかけていたかもしれない初心を思い出していただくことができ、診療はもっと良い方向へ変わっていくと私は信じています。
診察室では言うことが出来ない・言いにくい皆さんの本音をきちんと医師へ伝えるために、アンケートへのご協力をお願いいたします。」
お母様が統合失調症だったこと、ご自身も精神科に通院していたこと、だからこそと思いますが、それらの公表が当事者やその家族のみなさんの共感を得ることにもなり、そうした方々のお話をたくさん聞かれるようになってきたのだと思います。
そのようなご自身の経験を広げられ、「医師に向けて当事者や家族の気持ちを発信したい」「毎日の診療が良い方向に変われる」よう、「アンケートへのご協力をお願いします」とは、すばらしい精神科医さんではないでしょうか。
このアンケート結果も夏苅さんのHPで見られます。調査回答者数は7千人超で、とても大きな調査です。精神科医の中には、この調査をこころよく思わなかった方もおられたのでしょう。
夏苅さんは、「『当事者・家族による精神科医の評価は主観的で、科学的根拠に欠ける』という批判もありますが、診療は本人や家族の主観的な感じ方を通して成立します。公表まで時間はかかりましたが、皆様の回答は価値ある結果だと、私は誇りを持っています」と述べ、ピシャリと批判を退けています。
アンケート調査の項目はじつにたくさんですが、具体的にいくつか紹介すると、たとえば、担当医の診察態度について「早く診察を切り上げようとする雰囲気がある」「病名や薬について十分な説明がない」「回復の見通しについて納得できる説明がない」など、これらは「好ましくない」態度のいくつかです。
他方、「わかりやすく説明してくれる」「いろいろなアドバイスをしてくれる」「『共にがんばりましょう』などと声をかけてくれる」などは、「好ましい」態度です。当事者や家族から「好ましい」と評価されることが多くて、「好ましくない」と評価されることが少なければよいのでしょうが、どうだったでしょうか。
結果は「すべての精神科医が所属する学会の学会誌」(精神神経学雑誌第120巻第10号)に掲載されたとのことですが、それは6300人余りの質問紙回答分で、900人弱のネット回答分は含まれていません。調査報告「続報」によると、ネット回答のほうが「本人・家族ともに、質問紙回答より厳しい評価が出ています」とあります。
ネット回答であっても、担当医の診察態度について、好ましかったり好ましくなかったりすることをそれぞれ「ほとんどない」「あまりない」「少しある」「とてもある」から選んで回答するのは、とても気をつかうことでないでしょうか。だとすると質問紙回答分も含めて調査結果の数字以上に、「厳しい評価」を本人・家族はしている、と受けとめたほうがいいと僕には思われます。
夏苅さんには、たくさんの著書があります。
その1冊、『人は、人を浴びて人になる─ 心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い』(2017年)について、出版社(ライフサイエンス出版)のサイトには、「生きていくことに疲れ、二度の自殺未遂を起こした著者が、大切なことに気づかせてくれた人達との『出会い』、そして1本の道でつながっている人生を振り返った自伝的エッセイ」との紹介があります。そして、著者自身の次の言葉を紹介しています。
「私を回復に導いたのは『薬』ではなく『人』だった」
僕が夏苅さんの本を注文して読んだのは次の1冊だけですが、『病院で聞けない話、診察室では見えない姿 精神科医療「7つの不思議」』(ライフサイエンス出版、2021年)のなかから、「薬」に関係した箇所を紹介します。
「『人薬』に励まされ、助けられながら死に物狂いの努力で、私の飲む薬は少しずつ減って行きました。薬が1錠減るごとにみんなから認められた気がして、顔を上げて町を歩くことができました。とうとう薬がすべてなくなった日のことは、忘れられません。通勤中のバスの窓から見える景色が昨日とは違って見えるのです。キラキラと輝いて見えて『世界中から許された』気がしました。」
「薬を出すなら、『薬を減らす』『薬をやめる』ことも同時に考えて!」
「日本中に、今も精神科の薬を飲み続けている方々が大勢います。(中略)ただ『飲みなさい』と指示するだけでは、患者さんの自尊心は保たれません。減薬可能な状態を常に意識しながら、処方箋を書いてほしいのです。これは私自身の診療への戒めでもあります。精神科医は『薬を出すスキルは習得しても、減らすスキルは身につけていない』という声を、患者さん、ご家族から聞くからです。」
ここまでご覧くださって、もっと知りたいと興味を持たれた方は、
https://www.jpop-voice.jp/schizophrenia/s/1203/10.html
をクリックして、夏苅さんへのインタビュー記事をお読みいただきたいと思います。
夏苅さんが精神科医になったのはお母さんの統合失調症を治したかったからとか、「美談」のようなものを思い浮かべるかもしれませんが、まったくそうではありません。ずっと会わずにきたお母さんと会うようになった経緯。お母さんとご自身の体験をなぜ公表しようと思ったか、など読ませる記事がたくさんあります。
薬のことについても、お母さんの薬のひどい副作用やご自身の辛い服薬体験について述べています。終わりのほうで、精神科医へのメッセージは、次のようでした。
「それともう1つ、お薬ですけど、私は今、自分も飲んでいたし、母の副作用も見ていて思うんですけど、もし先生達が自分のご家族に飲ませるとしたら、このような大量の薬を処方されますかということをお聞きしたいです。たぶん出されないと思うし。
ご自分で飲めというのはちょっとあれかもしれないけれど、そういう接近した感じで、医者としての客観的な目は持たないといけない。一緒に生活するのは、大変なんですよ、副作用をもつ人とね。自分達(医師)は、ほんの10分ぐらいですよね、診察室の中で。
なので、もし自分の家族だったらという思いも、客観性とともに持っていただきたいなと思います。私自身にも(そう)言い聞かせていますけれども。」
以上、短くはない紹介に最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
(この際、昨年11/18の僕の投稿記事「心療内科・精神科で良くならない」も改めて、ご覧いただけますとうれしいです。そちらはとても短いです。笑)
やりたい事全部やる - You
2025/02/18 (Tue) 23:09:01
2月5日は25年の結婚記念日ということで、妻と二人、城山ホテルに宿泊してきました。記念日だからといって今まで何も特別なことをした事はなかったのですが、今回は銀婚の節目でもあり、二人で贅沢することにしたのです。中華のランチから始まり、パーラーでのティータイム、ディナーのビュッフエ、バーラウンジのワイン、翌日の豪華な朝食まで、とにかくずっと食べてましたw。冠雪した桜島を眺める温泉には4回も入り、持ち込んだswitchでマリオパーティーをしたり、オンデマンドでアニメ「薬屋のひとりごと」を見たり。チェックアウト時には、忙しかったね~と笑いました。こんなちょっとした贅沢を二人で楽しむことが出来たのは、親の会に参加して「自分が主役の人生をとことん楽しむ!」ことを知ったからです。以前の私達だったら、考えが浮かんだとしても、「○万円も、もったいないよね~。家でご馳走作って食べればいいんじゃない?」で終わっていたと思います。
長男が生まれたのを機に手放したバイクも、新車を買って20年ぶりにまたがり、テントを積んでツーリングに出るようになりました(昨年の春は五島列島の福江島、秋には壱岐・対馬)。また、妻と車中泊で遠方まで旅行に行くようにもなりました(奈良、和歌山、三重、滋賀と回りました)。先日は自分のためにゲーミングPCを買いました。息子のより性能のいいヤツw。
学校に行けず、部屋に閉じこもっている息子と同じ空間にいることに耐えられず、仕事帰りに寄り道したり、休日は自転車で、公園や図書館に出かけてブラブラしていた3年前が遠い昔のようです。あの頃はまさに負のスパイラル。親子でグルグルと落ちていくばかりでした。そこからなんとか軟着陸?できたのは、自分の気持ちは結局自分次第なのに、苦しみを不登校の息子のせいにしていたという事に気付いたからです。今では息子が部屋でゲームばかりしていても全く気にならず、自分のために自分の時間を楽しめるようになりました。
「人生の主役は自分」という、今となれば当たり前のことに気付かせてもらった親の会に感謝し、これからの人生を「やりたい事全部やる」勢いで楽しく過ごしていきます!
Re: やりたい事全部やる - たっちゃん
2025/02/19 (Wed) 07:14:03
YOUさん、ともみさん、2025年2月5日、ご結婚25周年、おめでとうございます!
大切な教訓 - まゆみ
2025/02/18 (Tue) 20:30:39
今月の定例会後のその後の話になります。
その夜、私は娘に聞きました。
学校に行く時は、本当に行きたくて行くの?
と聞いたら、娘が半分はお父さん、お母さんが喜ぶから、あと半分は可愛いと言われたいからと言いました。
私は正直、学校に行く事に対して、娘が本当に行きたいと思ったら行けばいい、行きたくなければ行かなくていいという事が娘に伝わっていると思っていました。
しかし、そうでなかった事と娘が私達に気を遣っていたことがわかり、自分が情けなくなりました。
きっと娘が学校に行くと言った時に、嬉しそうにしている私がいたのだと思います。
子供は親が思っている以上に、親をみていますよね、
娘は家族に対しては、物事をはっきり言うので、本当に行きたくなければ嫌というだろうと過信して、娘の優しさに気づいてあげられなかったのが、歯がゆいです。
ですが今回、この事がはっきりして、本当に良かったです。
助言して頂いて、気付けた事が本当に有難い事でした。
娘に私は言いました。
お母さんも自分の為に、自分のやりたい事をする、やりたくない事はしない、そういう毎日を送るから、あなたも自分の為に、そうして欲しい、
それがお母さんの幸せだと言いました。
しかし娘はこう言いました。
じゃあ勉強したくないから、ずっとしなくて、将来、50代のニートで家にずっといてもいいの?
私は丁度、先日の親の会のYOKOさんの名言を思い出して、娘に言いました。
全然、いいよ、だってあなたがいてくれるだけでいいから、
ありのままのあなたに価値があるから、
あなたが今を幸せに生きていてくれることが嬉しいから、そうなっても何も問題ないよ、
大丈夫と笑顔で言えました。
娘は黙っていましたが、少し安心したようにも見えました。
勉強しないで、ニートになったら?という不安からやりたくない事もしないといけないと自分を追い込んでいたのかもしれません。
親の会に参加していなかったら、こういう事にも気付けず、こういう返答も出来なかっと思います。
本当にありがとうございます。
そして私は、半分、可愛いと言われたくて、学校に行くのはどうして?と娘に聞きました。
すると先日、卒業写真を撮りに3学期に初めて学校に行ったのですが、その際、娘の横を通り過ぎた女の子があの子可愛いねと言ったのが聞こえたのと、娘と同じクラスメイトのお母さんもその時に来ていて、娘を見るのが初めてだったのですが、ひまりさんって可愛いんだね。と面と向かって言われたのが嬉しかったとの事でした。
子供は子供なりに色々、感じて色々、考えて、それなりに理由がちゃんとある事も分かりました。
今月、頂いた資料の内沢さんが書かれていた文章が今の私に、とてもとてもしっくりきています。
「私達が幸せであることが愛するわが子のためになすことができる最善で最大のことです。幸せであることは子ども達に対する義務だと言ってもよいくらいです」
きっと私は中途半端だったのだと思います。
自分を一番大切にしているつもりで、どこか遠慮したり、後ろめたい気持ち等あったのかもしれません。
ですがこの文章で吹っ切れました。
これからは、自分を大切にする事に全力をだしたいと思います。
きっと娘は、私が根本から幸せに生きていいんだよ、もっと自分を大切にしていいんだよと、教えてくれたのだと思います。
そんな娘に感謝しつつ、大切な教えをくださる内沢様ご夫婦に感謝しつつ、大切な気づきをくださる不登校の親の会の皆様に感謝しつつ、
毎日をハッピーに過ごしたいと思いました。
Re: 大切な教訓 - 内沢朋子
2025/02/18 (Tue) 21:17:40
まゆみさん、
すばらしいです!
娘さんから、「無条件の愛」をプレゼントしてもらいました。とっても大切な経験をされましたね。
娘さんの優しさにも触れました。
わがこを信頼し、愛することは、どんな価値以上にすばらしい・・・。
世間体や、まだ見ぬ「将来の不安に」おびえて、今をだいなしにしてはいけない。
毎日、わが子を愛する、その幸せをありがたいなあ、と大事にする・・。
そのことを教えられた、大事な日々だったと思います。
不登校の「リスク」なんてありません。
それより、わが子を無条件に愛する事の大切さを、わが子から教えてもらった!かけがえのないすばらしい財産です。
本当にありがとうございます!
誰もが自分を肯定できる社会を作っていく - たっちゃん
2025/01/31 (Fri) 23:04:54
今週に入って寒くなり、ご覧の写真の通り(1/30午前、天保山シーサイドブリッジより)、霧島連山は雪化粧した。雪山はとってもきれいだ。7年前の韓国岳の様子は
https://tachan.sakura.ne.jp/yamahana/yukikarakunidake.html
をご覧いただきたい。その2年後、5年前にも上っているが、雪山はそれっきりだ。ツレのトモちゃんに久しぶりに行こうか、と声をかけるも返事は芳しくない。今の車に合うタイヤチェーンを購入しなければならないし、僕もどうしても行きたいというほどではないので、この話題は、今はこれでお終い。
2日前(1/29)、厚労省は昨年1年間の小中高校生の自殺が過去最多になったことを発表した。これはいいニュースではないが、同日夜のNHKクローズアップ現代「Z世代を魅了する歌手“ちゃんみな”の闘い」はとてもよかった。「クロ現」のこの番組は、子どもや若者の自殺にひとことの言及もなかったが、「自分を受け入れられない」「自分が好きでない」「自分に自信を持てない」など、世代に共通する悩みや心情を紹介し、“ちゃんみな”さんの歌や闘いにその答えの一つを見出しているようにも僕には思われた。
ナレーターの台詞だったが、「誰もが自分を肯定できる社会を作っていくために“ちゃんみな”さんは……」と彼女を紹介していた。ファンの女子高校生の一人も、彼女との出会いから「自分を大事にできるようになった」と述べていた。
2/5(水)まで、NHKプラスで見られます。番組の一部を紹介した次の記事もあります。https://news.yahoo.co.jp/articles/84977e42d640183c49485f09e5539a31c296e3d2
不登校は大きなギフト - YOKO
2025/01/21 (Tue) 11:23:01
先週末は家族で福岡にいる友人に会いに行って、
帰りがてら阿蘇の温泉で一泊してきました。
我が家は温泉、お風呂が大好きで定期的に温泉旅行に行きます。
友人と話していて、友人の家族は子供が中学生になってからは一回も家族全員で出かけたり旅行ができてないし忙しいという話を聞いて我が家と真逆で面白かったです。長男が不登校になったばかりの頃は、周りが塾やらで忙しい、もう親とは出かけたくない年頃という話を聞いて我が子との違いに羨ましさと焦りを感じたこともありました。
しかし、今振り返って思うのは色々乗り越えてはきたけれど、
子供たちは旅行と言えば喜んで行きたがる、
自分たちのことを話してきたりと沢山の幸せな時間を送ってきたんだなと改めて
気付かされました。
一緒にいられるから幸せなのではなく、
子供がどうであれ、周りがどうであれ私が自分のことを大事に幸せにしてあげられるきっかけとなった息子たちの不登校は振り返れば振り返るほどやはり大きなギフトだったなと感謝の気持ちで一杯になったのです。
そんな大きすぎるギフトにプラスして、
沢山の何気ない幸せな日常、思い出も沢山ついてきてたのだと。
なんて親孝行なのでしょう笑!
たっちゃんの私たちが幸せであることが愛する我が子のためになすことができる最善で最大のことです。幸せであることは子どもたちに対する義務だと言ってもよいくらいです。という言葉がまさにそれに尽きるなと思います。
私が今感じることが全て詰まった言葉です。
再来週は私が大好きなシシドカフカが堺正章とバンドを組んでライブがあるので
東京に遊びに行きます。
両親にはプレゼントと称して付き合ってもらいます(^^)
親のために、ではなく私の趣味に付き合わせています。
ではまた来月も楽しみにしています。
Re: 不登校は大きなギフト - 内沢 朋子
2025/01/21 (Tue) 15:04:46
yokoさん、すてきです!
「不登校は大きなギフト」!
不登校を否定的に見る時代は、もうそろそろおわりにしようじゃないか、
むしろ、子どもたちからの大きな価値の転換の提案じゃないか・・・、
そして、そのことがとても大きな人生のギフトなんだと、親の会のみなさんの大切な体験談から、得られることは、本当にありがたい・・。
親の会をたちあげた89年。まだまだ偏見に満ちた不登校にたいして、「自分を真っ先に大切」にしているわが子はすばらしい!と感動した日々の積み重ねが、こんなおおきなかけがえのない財産になっている・・・!
あ~!なんて、人生は素晴らしい・・・!
ありがとう、ありがとう!
年月の積み重ねのなかで、
不登校は、「自分を真っ先に大切にすること」と教えてくれた子どもたちに、大きなギフトをもらった私は、心から感謝したいです!
端役の事は気にしません - You
2024/11/26 (Tue) 21:37:55
9月の妻との車中泊旅行に続き、10月は一人でバイク旅をしてきました。
愛車ハンターカブは125CCで高速道路に乗れないので、ずっと一般道です。博多を深夜0時過ぎに出発するフェリーに乗って対馬へ。夜明けとともに白嶽に登り、城巡り旅のメインの目的地である金田城、海を隔てて韓国を望む展望所などに行き、名物料理「とんちゃん」を食したあとは、日没後の海岸にテントを張って野宿。翌日は、明治に作られた砲台跡や神社巡り。夕方には壱岐に渡り、たまたま開催していた花火大会を鑑賞。野宿の翌日は、猿岩などの景勝地をめぐり、午後に唐津にフェリーで渡り、また陸路を帰ってきました。道連れのいる旅も楽しいですが、一人旅もまたいいものです。バイク旅だと、同じようにバイク旅をしている人や、地元の人がナンバーを見て話しかけてきて、そんな交流も楽しいものです。
何度も長期休暇ばかりとって職場に迷惑がかかるのでは?と思うでしょうが、はい、迷惑だと思いますよ。私が逆の立場だったら「休みばかり取りやがって!」って思いますもん。口にはしないけど。でも構いません。私が主役の私の人生において、家族は主要キャストですが、職場の上司、同僚は、端役も端役、「通行人A」でしかありません。エキストラにどう思われているか思い悩むなんて、無駄ですからね。お土産は毎回買いますが、それで充分でしょ。
人生を楽しむ、そんな当たり前のことが出来るようになったのは親の会に参加するようになったおかげです。会に参加することについて以前、「いつまで行くの?いつまで僕を不登校扱いするの?」と文句を言っていた息子。最近言わなくなったな、と思っていたら11月例会の後に、久しぶりに文句を言ってきたので、「楽しいから行ってるんだよ。なんでお前に行くなとか指図されなきゃいけないんだよ!」って言い返しました。親が子供を縛れないように、子供だって親を縛れませんよ。一つ屋根の下、お互い気持ちよく生活するために、譲るべきところは譲りますが、親の会への参加は譲れませんよね。
この先の人生でも子供の事に限らず、いろんな大事(小事を大事にしてしまうのも自分自身)が起きるのでしょうが、それに動じずに対処する(又は何もしない)事が出来るように、月1回の例会で学びを反復して、また大いに笑って元気をチャージさせてもらいたいと思います。
Re: 端役の事は気にしません - 内沢 朋子
2024/11/27 (Wed) 06:51:43
YOUさん、カッコイイ~~!
「自分が自分の主人公」をまっすぐ生きて、十分に楽しんでおられる!
9月22日の投稿もとても素敵で、いっぱい感動をもらいました、「自分が人生の主人公」をまっすぐ貫いてステキです!
息子さんとのやりとりもカッコイイ!
きっかけは息子さんの不登校だったかも、でも、おかげで、ご自分の人生を愛妻のトモミちゃんと楽しんでおられる!
いいなあ~~、youさん、かっこいい~~!
Re: 端役の事は気にしません - megurin
2024/11/28 (Thu) 18:49:49
YOUさん、爽快ですね~!素敵です!息子さんとのやり取り、堂々として楽しそうな様子に親はこうでなくっちゃね!!これはすぐにまねしよう!
さて、私は昨日、職場であったことにショックを受けて少しうつモード・・。これからの不安の雲がもくもくと立ちあがっていました・・
でも、ここに来たら、YOUさんの投稿が!
>エキストラにどう思われているか思い悩むなんて、無駄ですから<
>いろんな大事(小事を大事にしてしまうのも自分自身)が起きるのでしょうが、それに動じずに対処する(又は何もしない)事が出来るよう<
響きました。ありがたかった~!おかげで今日は元気になりました!
なるようになる!無頓着にいきる!
昨日も今日もいい日になりました。(単純・・笑)
皆さんの投稿、いつでも楽しみにしています。
Re: 端役の事は気にしません - YOKO
2025/01/20 (Mon) 12:04:48
youさんのご自身の人生の主役は自分で脇役に遠慮している場合ではないという清々しさが読んでいて気持ち良いです。このことを分かっていてもいつの間にか自分が自分の人生な主人公だということを忘れそうになる瞬間は、そうだそうだ、自分の気持ちを優先してまずは自分が幸せでなければ!とyouさんの記事を思い出してこれからも楽しんでいこうと思います。 親が子供を縛れないように子供も親を縛れませんね(^^)やりたいことを楽しんで嫌なことは我慢せず自分に優しい気楽な人生まっしぐらでいきます!また次回の例会でもお話楽しみにしています。
幸せであること - 内沢 達
2025/01/15 (Wed) 17:36:33
新年1月例会(1/12。公民館側の都合で、一週早めて開催)は、森田淳子さんの掲示板投稿記事を中心に交流しました。昨年10月亡くなったお母さんは、淳子さんにとって「少し厄介な存在」だったそうです。そうしたお母さんだけに、そのお母さん(孫たちにとってはおばあちゃん)の言葉やありようは、いっそう私たちの胸を打つものがありました。
不登校になった孫たちを否定するようなことは一度もなく、孫たちが「ただただかわいかった」と。そして孫の、こうへいさんは亡くなったおばあちゃんに「無責任に無条件に愛してくれてありがとう」と弔辞で述べたのです。
淳子さん・重則さんの補足もあって、森田さんファミリーの幸せの様子について、私たちはまた印象を新たにすることができました。ありがたいことです。
ところで、私たちの会は初めての人にとって、とっても驚きの会のようです。わが子の不登校のことで同じく悩んでいる親たちが集う、ちょっと辛い苦しい会のようにもイメージして参加したら全然ちがったというのです。笑い声が絶えなく、「〇〇さんのワクワクは何?」「おつれあいさんとは仲良し?」といった話で盛り上がっていて、最初「いったいこの会は本当に不登校の会なの?!」と思ったという方も少なくありません。
私たちは不登校を否定的に捉えていないからこそ明るいのですが、同時に毎月の例会での交流からも明るく元気になれます。「人の話はわが話。わが話はみんなの話」。交流は不登校やひきこもりのことにとどまりません。各自の趣味やたのしみごと、そして今困っていることについても出し合います。夫(妻)とのこと、また兄弟姉妹とのこと、さらには友人関係や職場のことなど。
不登校について見方・考え方次第で、私たちは明るくなれましたが、そうしたことも同じだと思います。「自分を一番大切にする」ことができるかどうかがやはり肝心です。自分を大切にして自分が幸せであると人にもやさしくなれます。しっかりと自分を守りつつ、他者との関係も作っていくことができます(形だけの関係でよいことも含みます)。
私たちの会は不登校の子どもたちをどうにかしようとする会では絶対にありません。でも、わが子の不登校をきっかけに集った会であることもたしかです。私たちが幸せであることが愛するわが子のためになすことができる最善で最大のことです。幸せであることは子どもたちに対する義務だと言ってもよいくらいです。
夫婦仲がいいのはもちろんいいことですが、夫婦仲が多少よくなくても、また夫婦別れしてもそれぞれが幸せであることは子どもたちにとってとてもうれしいことです。
MKさんは、12月例会で「別れた元夫とウナギを食べに行って、とても美味しかった」と。この新年の例会では、「大晦日、いっしょにNHK紅白を見た」と報告しました。誰の場合でも、将来は不確実でどうなるかはわかりません。でも、現にいまを幸せに生きているのだから、この先もそのように生きていくことは十分可能なことでしょう。
今年も(2月以降の例会でも)、いつも今を大事に、その今について交流していきましょう。
ただただかわいかった ─ 無責任で無条件な愛情 - 森田 淳子
2025/01/08 (Wed) 15:37:50
昨年10月、母が亡くなりました。私にとって母は子供のころから、少し厄介な存在でした。5歳下の妹は生まれつき身体的な障害があり、両親は妹の将来を心配しました。特に母は、私が小学生のころから、妹の将来の面倒をみることを望みました。妹がかわいかったので、私もそれは当然だと思っていました。親が望んだ職業につくために、中学、高校と懸命に努力しました。しかし、親の希望をかなえることはできませんでした。今では、それでよかったと思っています。妹は、自分の力で自立していきました。
そんな母でしたから、たった二人の孫が中学で不登校。10年近く、引きこもり。心配しなかったはずはありません。
駄菓子や雑貨を売る小さな店をしていました。いろいろなうわさ話が入ってきます。私が聞きたくない話も平気でします。私は、何度傷ついたことか。親の会で聞く、お母さんの一言に助けられたというような話が、うらやましくてたまりませんでした。家族には何を言ってもいいというのが母の持論で、私はそのたびに家族だから傷つくんだよと反論しました。しかしながら、今、考えると、孫たちを否定するようなことは一度もなかったのです。
葬儀の段取りの時、「お孫さんが弔辞を述べますか。別になくてもいいですよ。」と、葬儀会社の人に言われました。息子がしますといったので、びっくりしました。そして、葬儀の日、息子は「子供のころ、ばぁちゃんは山形屋でほしいものは何でも買ってくれるので、子供心に心配した。(学校に行かなくなって)心配したこともあっただろうけれど、今、ちゃんとやっているからね。無責任に、無条件に愛してくれてありがとう。」と述べました。
息子は今、バスの運転手です。世間では、大変な仕事だといわれていますが、本人は公共交通機関の一翼を担っていると誇りをもって仕事をしています。運転手さんありがとうと、飲み物などを下さる方もいるようです。娘はスーパーでカウンター業務をしています。電話対応から荷物の発送、保険の加入申し込みなど様々です。どの店長からも信頼されてきました。昨年は、パートながら本部からの指名で沖縄の研修会にも参加しました。
高齢者施設に入所していた母に、そのことを話したことがありました。そのためか、母の記憶の中では、「あやは責任のある立場だから」から亡くなる前には「あやは店長だからね」になっていました。
こんなこともありました。母がこれを言ったらいけないんだけどねと何度も言うのです。どんなことを言うのか、ひやひやしながら言ってごらんよと催促すると、「こうへいとあやが一番好きなの。」というではないですか。それは言っていいんだよというと、そうなの?と、大きく口を開けて笑いました。
入所している母に、家族の写真をもっていっていたのですが。重則さん(夫)の写真がないといいます。それまでの母を考えると、夫はさほど重要ではないと思っていました。夫と二人で写っている写真を持っていくと、これで全部そろったと大切そうに写真をなでていました。そして、「淳子の幸せそうな顔を見てごらん。」とそばにいた妹に言うのです。私が幸せだよと言うと、うれしそうな顔で「それはよかった。」と。
葬儀の日、息子と息子のお嫁さん、娘の三人が受付をしてくれました。あわただしい中、三人を見ると葬儀の日なのにふと、うれしい気持ちになりました。母も喜んでいたでしょう。子供たちが学校に行かなかった頃、親の会と細い糸でつながりながら、夫と二人、必死で生きてきました。世界中から孤立してでも、この家族を守るといった気持ちでした。
余裕ができて周りを見回すと、両親や叔父叔母、友人たち、みんなそばにいてくれたんだと思います。
いろいろなことを経験して、これで何があっても大丈夫といきたいのですが、なかなかそうはいきません。不安になったり、心配したり。それでも親の会に行くと、若い方たちから生きるヒントをもらいます。不安になったら、親の会で学んできたことを発掘するようにして思い出します。だから、今も参加します。
母のことは今でもよくわからないのですが、母は孫たちが小さい時から、学校に行かない時もずっとかわいかったのでしょう。無責任に無条件に、ただただかわいかったのだと思います。そして、私と妹のことも母なりに愛してくれたのだと今は思います。
Re: ただただかわいかった ─ 無責任で無条件な愛情 - 内沢朋子
2025/01/08 (Wed) 21:21:46
「ただただかわいかった・・」
最後の一文を読み終えて、熱い涙があふれました。
森田さんとは、本当に長いお付き合いです。
ご夫婦のお話しは、時に、苦しさにあふれ、時に悲しさを、時に喜びを、ご自分のお気持ちを素直にお話ししてくださいました。
親の会の皆さんを信頼すればこそ、そのお気持ちは皆さんの胸を打ちました。
お母様に、愛の真髄を教えてもらい、支えられて、わが子への愛を無条件に開花されていったご夫妻の長い歴史に、一緒に涙し、笑い、感動を共にした私は、本当に幸せ者です。
Re: ただただかわいかった ─ 無責任で無条件な愛情 - 永田です
2025/01/10 (Fri) 11:57:46
お母さまのご冥福、心よりお祈りいたします。
なんてかわいらしいお母さまなんだろう。
なんてあったかい家族なんだろう。
なんて素敵な子どもたちなんだろう。
淳子さんと重則さんのお話を長い間聞いてきた私は涙涙です。
無責任で無条件な愛情❗私も真似したいです。
淳子さん、ゆっくりゆっくりお母さまを偲んでくださいね。
Re: ただただかわいかった ─ 無責任で無条件な愛情 - ちな
2025/01/11 (Sat) 01:45:51
『無責任で無条件に愛してくれてありがとう』
と、いう表現が私には新しくて衝撃を受けました。
そして、尊いイメージの『愛』に『無責任』が加わることで、いろいろな場面で変わることもある感情の躍動感(良い時も悪い時も)を改めて大切にしていきたいなと思えました。
お母様とのやり取り、微笑ましく読ませていただきました。かわいいです。
お母様が安らかにお眠りになられますようお祈りいたします。
Re: ただただかわいかった ─ 無責任で無条件な愛情 - megurin
2025/01/11 (Sat) 22:51:03
森田さんのあたたかいお話、繰り返し読ませていただいています。
自分の愛情を信じて、すすんでいこう。あらためてそう思えた今日でした。
ありがとうございます。