登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)掲示板
望んでいたものは全部持っていた - I
2024/12/10 (Tue) 16:50:09
親の会に出会って3年8か月が経った。
息子は6年生の10月、担任の先生とのトラブルにより不登校になった。それから半年が経った5月、思春期の友達トラブルを抱えながら過ごしていた中3の娘も不登校になった。
最初は何が起こったのかわからなかった。担任のせいで息子が不登校になったと担任を恨んでいた私だったが、今度は娘が友達のせいで不登校になってしまった。どうして?友達のせい?あれ??
そこでやっと私は気がついた。娘の友達トラブルは私も中学時代に経験したことでよくあること。息子の担任とのトラブルもよくあること。その随分前から二人とも朝起きられなくなったりお腹や頭が痛くなったりSOSを発していたのに、私は二人の気持ちに寄り添うこともせず、病院に連れて行き、体調が悪いときは保健室に行くように話し、足取りの重い我が子を車で学校まで送り届けていたのだ。
完全に動けなくなった我が子を見て、学校に行かせることはやめよう。そう決めたものの、今度は夫と意見が合わない。学校に行かないのは甘えだ。私の育て方が悪いから子どもたちが不登校になった。そう言われ、かみ合わなくなっていた夫婦仲がますますおかしくなっていく。
ある時、定期的に会っている母に子どもたちが学校に行っていないことを隠し通せないと思い話をした。そうしたらご飯は食べてるの?元気にしてるの?と聞かれ、うんと答えるとあっさり、それならよかった、そう言われた。それ以来も以前も母に子どもたちのことを心配されたことは一度もなく、平日の昼間に娘がランチについてくると大喜びされ好きなものをご馳走してもらえる。みんなが学校に行っている時間帯に実家の家庭菜園で大根や人参を抜く息子と娘をみてまさかこんな日が来るなんてと大喜びされる。
今更ながら、私は両親に祖父母に親戚にと甘やかされて育ったことを思い出した。
あるとき母に、お父さんもお母さんも私にああしろこうしろと言わなかったよねと話したら、言ってたのよ、でも言っても聞かなかったからね、そう言われた。
私の幼少期は幸せだったと思う。田舎で育ったということもあるが、友達と花の蜜を吸いながら学校から帰ったり、野イチゴやさくらんぼ、ぐみなど季節の恵みを探し求めこっそりいただいたり(40年以上前のこととは言えご近所のみなさんごめんない!)学校帰りに会う地域の人とおしゃべりをしたり、たまにお茶をご馳走になったり、猫が生まれたから、うさぎが生まれたから、鳩が孵ったからと学校帰りにもらってくるような子どもだった。放課後も秘密基地を作ったり、自転車で暴走族ごっこをしたり、光GENNJIに憧れてローラースケートを猛練習したり、要するにかなり自由な子ども時代をすごさせてもらった。
それなのになぜだろう?
私はいつからか勉強ができることが子どもの幸せであると勘違いし、勉強ができることに重きをおいて子育てをするようになっていた。素直な子どもたちは、私の期待に応えるように学校でも塾でもそれなりの成績を取り、もっともっとと頑張り続ける日々を過ごしていたように思う。
それなのに、子どもたちが学校に行き、塾に行き、頑張り続ける日々を過ごしていた頃、私は幸せだったのかと問われると嘘でも幸せだったとは言えない。夫との会話と言えば子どもの模試の成績、志望校のことが主で子どもの成績が落ちると私の責任のような気がして子どもにプレッシャーを与え、家のこともちゃんとやっているんだから文句を言わないでよと片意地を張って、気がついたら何があったわけでもないのに夫婦仲はぎくしゃくしていた。
子どもが不登校になり、勉強しない、ご飯を食べない、お風呂も入らない、昼夜逆転が日常になり、何をどうしてもうまくいかず、お手上げ状態。そんなとき大変だねと寄り添ってほしい夫には、私が変わってきちんと子どもを動かせるようにならないといけない言われ続け、夫の顔を見るのも嫌になっていた。
疲れ切った私は、夫にもうああしろこうしろと言う子育てはしたくないと話をしたら、昔の田舎はそれでよかったのかもしれないが今この時代では通用しない、私に子育ては向いていないと言われた。私は自分なりに一生懸命夫の希望に沿うように、家族みんなの幸せのためにと頑張ってきたつもりだった。頑張ってきた結果がこれで、このまま頑張り続けても私も子どもたちも不幸になるだけだと思い、私が頑張ることも子どもたちを頑張らせることもやめることにした。夫との関係は最悪だったが、好きなようにして離婚することになったらそれはそれでしょうがないなと思った。
「自分を一番大切にする」親の会で言われたこの言葉がじんわりと効いてきたのがこの頃だ。最初は子どもがこんな状態なのに自分を大切にして自分が楽しんでいいのだろうか?そう思うこともあったが、ことあるごとに私はどうしたい?そう自分に問いかけ、私が心地よいと思うことを選ぶようにしていった。
親の会で言われたように、子どもと一緒に気持ちよく過ごすと決めて、私がどうしたいのかを一番大切にする。子どもの機嫌が悪くても夫の機嫌が悪くてもそれは本人の問題であって私には関係のないこと、私は私でご機嫌に過ごすと決めて生活した。
青白い顔をして生気のない息子と娘。二人それぞれが部屋に引きこもり昼夜逆転。ゲームばかりしてまともな食事もとらない、お風呂も入らない生活が日常になり、そんな我が子をみて子育てに失敗した、私に子育ては無理だったんだと悲しみと失望の日々を送っていたことが今では懐かしい。
失望の日々が日常化され、私は私でご機嫌でいると決めると不思議なもので小さな出来たに目が行くようになる。夜中にラーメンを作って食べている。お風呂に入っている。ゲームをして誰かと話している。笑っている。そんな小さなことで今日も生きている、よかったと思えるようになっていった。
あのまま子どもたちが不登校にならずに頑張り続けていたら、私の今の幸せはなかったと思う。
十分あるのにない部分を補おうと必死だった。常にもっともっとと満足できずにいた。でも今は違う。望んでいたものは全部持っていたのだ。好きな人と結婚して女の子も男の子も欲しいな。笑って過ごしたいな。犬も飼いたいな。若かりし頃に漠然と願っていた幸せは、気づいたら夫と子どもたちのおかげで叶っているではないか。子どもたちが不登校にならなければ、こんな可愛いわんこを家族に向かえ入れることも、家族で穏やかに笑いあうこともなく、無駄に頑張って毎日イライラして過ごし、たくさんの優しい人たちの存在にも、世界がこんなにも優しいことにも気づかず生きていただろう。今の私はとっても幸せで、自分を大切に小さな幸せの選択を続けていけばこれからも幸せが続いていくと信じられる。
泣いて過ごした日々にも、不登校になって私を取り戻す機会をくれた子どもたちにも、
子どもを変えることを諦め、私を変えることを諦め、受け入れてくれた夫にも今は感謝しかない。
Re: 望んでいたものは全部持っていた - 内沢朋子
2024/12/10 (Tue) 20:29:19
Iさん、すばらしかった!
わが子を、ただただ愛すればいい・・。
ただただ抱きしめればいい!
「不登校だから、なんなのさ」(と言われたかどうか)お母様の愛し方、素晴らしい!
子どもを無条件に信頼し、愛する力を育ててくれたわが息子、わが娘に感謝、
Iさんの愛の成長のものがたりですね。
心が感動でいっぱいになって、この感動を届けてくれたIさんと、Iさんのご家族様に感謝!です。
Re: 望んでいたものは全部持っていた - にゃおみ
2024/12/10 (Tue) 22:43:33
Iさん、今とても幸せと言えること本当にすばらしい!
全部持っていることに気づけたのも不登校をして自分を見つめる機会をくれた子どもたちのおかげ…今だからそう思える。
不登校を始めた頃には考えられないことですよね。
Iさんが、おおらかに過ごしてこれたのはご両親のおかげ。
とても子どもらしい子ども時代を過ごさせてもらったんですね!
私も子どもの頃、怒りん坊のきかん坊…言い出したらきかないからと好き勝手させてもらいました。
両親と姉には感謝しかありません。
色々なことを人のせいにしている時は、小さな幸せには気づけないし楽しめない。
誰のせいでもないし、そもそも不登校は悪いことではないと分かれば見える世界が変わりますよね。
Iさんが回を重ねるごとに明るく元気に、そして強くなっていくのを見てきました。
なので、とても嬉しい気持ちで読ませてもらいました。
これからもたくさんのわくわくを語り合って、もっともっと幸せになりましょうね!
Re: 望んでいたものは全部持っていた - megurin
2024/12/11 (Wed) 14:19:22
Iさん、投稿ありがとうございます。
感動してうるうるです・・。
不登校の入口に立った時の気持ちはだれしも同じようなものですね・・
鹿児島の会が他と違ったのは、不登校の子どもは問題じゃないときっぱりと断言していることでした。それでどれだけの安心をいただいたか。
そして、あたたかい人間愛あふれる例会で人の話はわが話を少しずつ身に着けて、親が自分軸をもって生きる力をつけていく過程はほんとうに素敵です。
わたしもまだまだぶれます(苦笑)が、
ここにきて、こうして笑ったり泣いたりすることが楽しみです。